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Channel: アジアと小松
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新自由主義とゴミ有料化問題

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新自由主義とゴミ有料化問題

 50年前の1965年度のゴミの総排出量は1625万トンであった。高度成長期を経て、2000年度には5483万トンへ、そして最近は多少減少しているとはいえ4500万トン前後の状況が続いている。ゴミは日本の高度成長と並行して増加し、ゴミの大量排出は資本主義的大量生産・大量消費(廃棄)に根本的な問題があることを押さえておかねばならない。

 資本主義は生産にかかる費用のある部分を外部(社会)に転嫁して、超過利潤を生み出す。例えば、廃棄物処理や環境汚染対策を国や自治体に依存し、自らはサボタージュする。すなわち企業(事業者)は生産過程で生み出される廃棄物の処理を地方自治体に押しつけて、効率的に利潤を追求してきたのであり、トイレなきマンションといわれる原発と同じ構造である。

 1990年代には、ゴミを押しつけられた自治体の費用負担が限界を超え(5000万トン)、ゴミの排出元である事業者に責任と対策を求めるのではなく、有料化(市民への負担転嫁)へと突き進んだのである。山谷修作論文(「家庭ごみ有料化の取組とその成果」)によれば、ゴミ処理の有料化は1960年代から始まっているが(珠洲市は1972年)、本格的には1990年代後半から急増し、2000年には全自治体の20%、2008年には同50%、2013年には同55%、2015年には同63%に及んでいる。

 ゴミの有料化(市民負担)は新自由主義的手法である。新自由主義は市場原理主義といわれるが、実は権力行使を伴った略奪的蓄積のための新たな帝国主義である。具体的に言えば、による利潤の移転をめざしてきた。

 生産活動によって大量に排出される事業系ごみ(家庭系ごみも消費者に移動した事業系ゴミである)は本来は資本(事業者)の責任で処理すべきであるにもかかわらず、排出にあたって最低限の「企業倫理」さえ守らず、一般廃棄物に産業廃棄物を混入して処理施設に持ち込み、それは低料金で処理されることによって剰余利潤を得ているのである。

 自治体も、資本家階級の政治委員会の末端機関として、阿吽の呼吸で資本の便宜を図り、事業系ゴミ問題を議論からはずし、ゴミ処理問題の解決を家庭系ごみだけに切り縮めている。そして、事業者が排出したゴミ処理の負担を市民に押しつけるために、「家庭系ごみ=市民が出したゴミ」、「有料化による分別の推進」、「公平負担」などの虚偽のイデオロギーでごまかしているのである。

 新自由主義では、処理センターという公共の資産を企業が低料金で利用することによって、略奪的蓄積を強めるのであるが、民営化への中間形態としてあるのではないか。刑務所や大学が民営化の対象になっているように、ゴミ処理も民営化によって行政サービスから利潤追及の事業となり、高額なゴミ処理費用を要求されることになる。

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