12/24高浜仮処分異議審、大飯仮処分不当決定を弾劾する
576日目の福井県庁前
12月24日正午すぎ、雨上がりの福井県庁前では576日目の座り込みがおこなわれ、石森さんのアジテーションがひびいていた。
「再稼働反対」のボードを掲げて一緒に座っていると、挨拶をしていく通行人が何人もおり、リンゴを差し入れていく婦人もいる。やがて裁判所への結集の時間が迫り、その場を離れた。
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福井地裁前
福井地裁前は人々でごった返していた。マスコミのカメラマンはベストの撮影位置を競って陣取っている。1時30分から出発前の集会がおこなわれ、50分には、申立人と弁護団は支援者の拍手に見送られ、裁判所に入っていった。
2時をすこし過ぎて、裁判所の正面玄関に赤いオーバーコートを着た今大地さんが姿を現した。階段を降りてくる今大地さんには笑顔はなく、その口をへの字に結んでいた。そして広げられた垂れ幕には「司法の責任はどこへ」「福島原発事故に学ばず」と記され、樋口決定が覆されたことを私たちに知らせた。ざわめきと弾劾の声が上がった。
簡単な報告と怒りのシュプレヒコールがつづき、記者会見会場(福井県国際交流会館)に移動した。
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記者会見会場
会場は駆けつけた市民とマスコミですべての席(約300席)が埋まっていった。申立人声明、弁護団声明、決定要旨が配布され、決定の内容が明らかになった。
今日の林潤裁判長による決定は出来レース以外の何ものでもない。11月13日に高浜異議審、大飯仮処分審問が結審した後、政府、福井県、裁判所、関電は一体となって再稼働のための条件整備をおこなっていた。
12月3日には高浜町長が高浜原発3・4号機の再稼働に同意、17日に福井県議会が同意、18日に国の原子力防災会議が広域避難計画を了承、19日に福井県原子力安全専門委員会が「安全確保」の報告書を知事に提出、20日には林経産相が福井県を訪問し、西川知事と会談、21日には西川知事が関電社長と会談、22日に福井県知事が高浜3・4号機再稼働同意表明、そして24日には福井地裁は樋口決定を反故にし、高浜原発と大飯原発の再稼働への道を開いた。そして、翌25日には高浜原発3号機への核燃料の装填が始まった。
住民の生活と命が捨象された
決定要旨を読んで感じることは、住民の命の問題が捨象されていることである。大飯原発の運転差し止め判決を書いた樋口英明裁判長は「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と住民の生活と命を基準にして、思惟し、判決を書いたのにたいして、林潤裁判長はエリート司法官僚=ヒラメ裁判官として、国の顔色だけを見て、新規制基準への適否を判断し、4・14樋口決定を取り消したのである。この決定は人間不在のペーパーテスト程度の軽い決定である。
仮処分異議審では住民や福島原発事故の被害者の気持ちを訴える機会はなく、たった4回(5月、9月、10月、11月)の日程は関電の主張とそれにたいする反論に費やされた。裁判所は関電に十分な時間を与えて主張させ、住民側には形式的に3人の専門家によるプレゼンの機会を与えた。論点整理のための質問事項は真理を追究するためではなく、関電側に主張の不充分な部分を補充させるためのやらせ質問にすぎなかった。
まさに最高裁から送られた3人のエリート裁判官は刺客としての役割を果たしたのである。
過酷事故は起こらないとは
各論的に問題点を探ると、「新規制基準の枠組みには合理性がある」として、新たな安全神話を杓子定規に当てはめて、樋口決定を覆した。まさに福島原発事故以前に立ち戻ってしまった。
最低限の「多重防護」の考えさえも否定してしまった。多重防護とは、第1層:異常の発生の防止、第2層:異常の拡大を防止(止める)、第3層:周辺環境への放射性物質の異常放出の防止(冷やす、閉じ込める)、第4層:過酷事故の抑制と緩和(消火水、海水の利用、格納容器ベント)、第5層:人と環境を守る(屋内退避、避難、汚染物の出荷制限)の5層である。
林裁判長は「新規制基準に適合している」「社会通念上無視しうる程度に管理されている」から過酷事故は起きないと断じ、4層、5層は考えなくてもよいとしたのである。まさに机上の空論であり、福島原発事故を経験した今では砂上の楼閣にすぎない。こうして、林裁判長は住民の命と生活と引き換えにして、関電を救済したのである。
後ろめたさからリップサービス
決定では、「(原発には)絶対的安全性は存在しない」「過酷事故が起きる可能性は否定されない」「高いレベルの安全性を目指す努力」「重層的な対策を講じておくことが重要」などとあたかも住民の主張を取り入れているかのように書いているが、結論に結びつかない論述は単なるリップサービスであり、何の意味も持たない。
かつて、1999年の南京大虐殺事件国家賠償請求訴訟(林潤は陪席裁判官)で、「南京虐殺というべき行為があったことはほぼ間違いない」と事実認定しながら、「個人が外国政府に対して直接に戦争被害にかかる損害賠償請求をする権利はない」と門前払いしたやり方と同じである。
林裁判長は「多様な意見に耳を傾けよ」と能書きをたれているが、自身は住民の訴えにも、専門学者のプレゼンにもまったく耳をかさず、関電の主張をなぞって決定を書いたのである(コピペ裁判官!)。
今後の方針と福井からの決意
弁護団は高浜異議審については、名古屋高裁金沢支部に抗告し、たたかいを継続する方針を出した。とくに、林潤決定が多重防護の4層、5層対策を不要とし、努力目標にした点を突いていく。また、「審査を通っても安全ではない」という田中俊一委員長の本音をテコにして、主張を組み立てていく。大飯仮処分については、規制委員会が再稼働の許可を出した時点で、仮処分を申し立てることを考えている。
さいごに、中嶌哲演さんは「地震列島・日本は動乱期に入っており、原発には厳しい時代が続きます。かつて若狭湾に大きな津波が押し寄せたし、福井地震(1948年)も起きています。裁判所は政府と電力資本が推進する原発再稼働の仲間に入ったようだ。本気で再稼働を止めるために何をすべきか。明日は東京地裁にもんじゅ訴訟を提訴します。広範な運動を作り、とくに本丸は関電本社であり、関西の皆さんとも固く手をむすんでたたかいつづけたい」と、決意を述べた。
私たちの決意
戦後民主主義(三権分立の理念)のもとで、司法の独立が広く信じられてきたが、危機の時代には裁判所は国家機関の一角を占め、体制擁護のために働くことが全国民の知るところとなった。私たちは裁判(闘争)をたたかう武器にしても、裁判にすべてを委ねることはやめにしなければならない。あくまでも、原発を止める力は人民のたたかいにあり、人民のたたかいが到達した水準できまることを肝に銘じなければならない。
戦後民主主義はいまだ沈黙させられてはおらず、私たちのたたかう武器として裁判闘争にあくまでもこだわり、裁判闘争のなかで自らと人民を教育し、すべての原発を廃炉にするまでたたかいつづけよう。再びのフクシマが訪れる前に決着をつけねばならない。
576日目の福井県庁前
12月24日正午すぎ、雨上がりの福井県庁前では576日目の座り込みがおこなわれ、石森さんのアジテーションがひびいていた。
「再稼働反対」のボードを掲げて一緒に座っていると、挨拶をしていく通行人が何人もおり、リンゴを差し入れていく婦人もいる。やがて裁判所への結集の時間が迫り、その場を離れた。

福井地裁前
福井地裁前は人々でごった返していた。マスコミのカメラマンはベストの撮影位置を競って陣取っている。1時30分から出発前の集会がおこなわれ、50分には、申立人と弁護団は支援者の拍手に見送られ、裁判所に入っていった。
2時をすこし過ぎて、裁判所の正面玄関に赤いオーバーコートを着た今大地さんが姿を現した。階段を降りてくる今大地さんには笑顔はなく、その口をへの字に結んでいた。そして広げられた垂れ幕には「司法の責任はどこへ」「福島原発事故に学ばず」と記され、樋口決定が覆されたことを私たちに知らせた。ざわめきと弾劾の声が上がった。
簡単な報告と怒りのシュプレヒコールがつづき、記者会見会場(福井県国際交流会館)に移動した。

記者会見会場
会場は駆けつけた市民とマスコミですべての席(約300席)が埋まっていった。申立人声明、弁護団声明、決定要旨が配布され、決定の内容が明らかになった。
今日の林潤裁判長による決定は出来レース以外の何ものでもない。11月13日に高浜異議審、大飯仮処分審問が結審した後、政府、福井県、裁判所、関電は一体となって再稼働のための条件整備をおこなっていた。
12月3日には高浜町長が高浜原発3・4号機の再稼働に同意、17日に福井県議会が同意、18日に国の原子力防災会議が広域避難計画を了承、19日に福井県原子力安全専門委員会が「安全確保」の報告書を知事に提出、20日には林経産相が福井県を訪問し、西川知事と会談、21日には西川知事が関電社長と会談、22日に福井県知事が高浜3・4号機再稼働同意表明、そして24日には福井地裁は樋口決定を反故にし、高浜原発と大飯原発の再稼働への道を開いた。そして、翌25日には高浜原発3号機への核燃料の装填が始まった。
住民の生活と命が捨象された
決定要旨を読んで感じることは、住民の命の問題が捨象されていることである。大飯原発の運転差し止め判決を書いた樋口英明裁判長は「豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と住民の生活と命を基準にして、思惟し、判決を書いたのにたいして、林潤裁判長はエリート司法官僚=ヒラメ裁判官として、国の顔色だけを見て、新規制基準への適否を判断し、4・14樋口決定を取り消したのである。この決定は人間不在のペーパーテスト程度の軽い決定である。
仮処分異議審では住民や福島原発事故の被害者の気持ちを訴える機会はなく、たった4回(5月、9月、10月、11月)の日程は関電の主張とそれにたいする反論に費やされた。裁判所は関電に十分な時間を与えて主張させ、住民側には形式的に3人の専門家によるプレゼンの機会を与えた。論点整理のための質問事項は真理を追究するためではなく、関電側に主張の不充分な部分を補充させるためのやらせ質問にすぎなかった。
まさに最高裁から送られた3人のエリート裁判官は刺客としての役割を果たしたのである。
過酷事故は起こらないとは
各論的に問題点を探ると、「新規制基準の枠組みには合理性がある」として、新たな安全神話を杓子定規に当てはめて、樋口決定を覆した。まさに福島原発事故以前に立ち戻ってしまった。
最低限の「多重防護」の考えさえも否定してしまった。多重防護とは、第1層:異常の発生の防止、第2層:異常の拡大を防止(止める)、第3層:周辺環境への放射性物質の異常放出の防止(冷やす、閉じ込める)、第4層:過酷事故の抑制と緩和(消火水、海水の利用、格納容器ベント)、第5層:人と環境を守る(屋内退避、避難、汚染物の出荷制限)の5層である。
林裁判長は「新規制基準に適合している」「社会通念上無視しうる程度に管理されている」から過酷事故は起きないと断じ、4層、5層は考えなくてもよいとしたのである。まさに机上の空論であり、福島原発事故を経験した今では砂上の楼閣にすぎない。こうして、林裁判長は住民の命と生活と引き換えにして、関電を救済したのである。
後ろめたさからリップサービス
決定では、「(原発には)絶対的安全性は存在しない」「過酷事故が起きる可能性は否定されない」「高いレベルの安全性を目指す努力」「重層的な対策を講じておくことが重要」などとあたかも住民の主張を取り入れているかのように書いているが、結論に結びつかない論述は単なるリップサービスであり、何の意味も持たない。
かつて、1999年の南京大虐殺事件国家賠償請求訴訟(林潤は陪席裁判官)で、「南京虐殺というべき行為があったことはほぼ間違いない」と事実認定しながら、「個人が外国政府に対して直接に戦争被害にかかる損害賠償請求をする権利はない」と門前払いしたやり方と同じである。
林裁判長は「多様な意見に耳を傾けよ」と能書きをたれているが、自身は住民の訴えにも、専門学者のプレゼンにもまったく耳をかさず、関電の主張をなぞって決定を書いたのである(コピペ裁判官!)。
今後の方針と福井からの決意
弁護団は高浜異議審については、名古屋高裁金沢支部に抗告し、たたかいを継続する方針を出した。とくに、林潤決定が多重防護の4層、5層対策を不要とし、努力目標にした点を突いていく。また、「審査を通っても安全ではない」という田中俊一委員長の本音をテコにして、主張を組み立てていく。大飯仮処分については、規制委員会が再稼働の許可を出した時点で、仮処分を申し立てることを考えている。
さいごに、中嶌哲演さんは「地震列島・日本は動乱期に入っており、原発には厳しい時代が続きます。かつて若狭湾に大きな津波が押し寄せたし、福井地震(1948年)も起きています。裁判所は政府と電力資本が推進する原発再稼働の仲間に入ったようだ。本気で再稼働を止めるために何をすべきか。明日は東京地裁にもんじゅ訴訟を提訴します。広範な運動を作り、とくに本丸は関電本社であり、関西の皆さんとも固く手をむすんでたたかいつづけたい」と、決意を述べた。
私たちの決意
戦後民主主義(三権分立の理念)のもとで、司法の独立が広く信じられてきたが、危機の時代には裁判所は国家機関の一角を占め、体制擁護のために働くことが全国民の知るところとなった。私たちは裁判(闘争)をたたかう武器にしても、裁判にすべてを委ねることはやめにしなければならない。あくまでも、原発を止める力は人民のたたかいにあり、人民のたたかいが到達した水準できまることを肝に銘じなければならない。
戦後民主主義はいまだ沈黙させられてはおらず、私たちのたたかう武器として裁判闘争にあくまでもこだわり、裁判闘争のなかで自らと人民を教育し、すべての原発を廃炉にするまでたたかいつづけよう。再びのフクシマが訪れる前に決着をつけねばならない。