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尹奉吉―大阪での収監先は?

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尹奉吉―大阪での収監先は?

2012年に大阪歴史博物館でコピー
 2015年12月23日の「聯合ニュース」で、1932年に尹奉吉が一時的に収監されていた衛戍刑務所の跡地を確認したと報道された(下記資料)。小松基地問題研究会は『資料集/上海爆弾事件後の尹奉吉』(2012年4月)を発行する前に、大阪城公園の調査をおこなった。

 大阪歴史博物館を訪問し、1932年当時の大阪城内の地図を捜し、1931年に作成された5000分の1の地図を見つけた。地図には「師団司令部」(写真中央)と「衛戍監獄」(写真下部)の表記があり、現在の豊国神社(1956年~)あたりに陸軍衛戍刑務所(衛戍監獄)があったと推測できた。(1932年当時の公文書及び新聞報道は「大阪陸軍衛戍刑務所」となっている)

 尹奉吉は1932年11月18日、上海から日本郵船の大洋丸に乗せられて、20日神戸港に着き、車で大阪に向かい、玉造門から大阪城内に入り、12月18日までの約1ヶ月間、衛戍刑務所に収監された。

 当会による調査と韓国独立記念館による調査が一致するか、また建物の特定(位置や写真)などに踏み込んだ調査結果が見られるか、非常に楽しみだ。

(資料)2015年12月23日(水)【聯合ニュース】
韓国・独立記念館 尹奉吉が収監された日本刑務所跡を確認

【ソウル聯合ニュース】韓国の独立記念館(忠清南道天安市)は23日、日本植民地時代の独立運動家、尹奉吉(ユン・ボンギル、1908~1932)が日本で処刑される前の約1か月間を過ごした大阪城内の衛戍刑務所の跡地を確認したと発表した。

 尹奉吉は1932年4月、中国・上海の虹口公園(現:魯迅公園)で行われた旧日本軍の祝賀式典会場に爆弾を投げつけ現場で取り押さえられた。同11月に日本に移送された後、同12月に金沢で処刑された。

 尹奉吉が収監された刑務所については、当時の日本陸軍第4師団司令部が設置されていた大阪城の近くに跡地があるという情報があったが、独立記念館の研究員が1932年11月18~20日付の大阪朝日新聞の記事に基づき調べた結果、大阪城内に跡地があることを確認した。

 独立記念館はこの調査結果ついて、毎年発刊する「国立独立運動史跡地実態調査報告書」に掲載する予定だ。

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