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『決定版日本史』(渡部昇一著2011.7)を読む

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『決定版日本史』(渡部昇一著2011.7)を読む

全編を蔽う差別と推測
 最も特徴的な記述は、中国を「シナ」、中国大陸を「シナ大陸」と呼び、蔑んでいる。石原慎太郎と同類である。また、全編にわたって、「~感じたはずである」「~思うのである」「~ように思う」などの推測が支配しており、とうてい歴史書としての重みはない。歴史的事実と推測の境目を不分明にして、都合良く歴史を解釈している。

 私たちはこのようなご都合主義的な歴史観によって過去を解釈し、エセプライドを形成し、ふたたび侵略戦争の時代を招き寄せようとしている自由主義史観と対決しなければならない。そのためには渡部昇一の『決定版日本史』を事実に拠って粉砕する必要がある。

(1)力でねじ伏せて、教育勅語を強制
 著者は「教育勅語は日本の隅々にまで、だれからも反対されることなく定着した」(175p)と書いているが、内村鑑三の教育勅語不敬事件は超有名である。1890年に発布された教育勅語の謄本を全国の国公私立の学校に配布した。同年12月25日に内村鑑三が嘱託教員として勤務していた第一高等中学校に下付されたが、内村鑑三が最敬礼をしなかっただけで、不敬事件とされ、学校から追放された。

(2)「アジア解放のための日清、日露戦争」のウソ
 著者は「明治政府は…朝鮮の清国からの独立をしきりに求めた」「(朝鮮の独立のために行われた)日清戦争」(177p)、「日本は陸上で百戦百勝。海上では…ロシア艦隊を撃滅した」(186p)と、有色人種が白人に勝った戦争として、アジア(朝鮮)の解放軍であるかのように描いている。

 日清戦争も日露戦争も、朝鮮の植民地化(併合)のための侵略戦争であったことは紛れもない歴史的事実である。

 著者は第4章「近代」の最後で、「大東亜決戦の歌(起つや忽ち撃滅の かちどき挙がる太平洋 東亜侵略百年の 野望をここに覆す いま決戦の時来る)」を引用し、「アジアを独立させるという目的のもと日米決戦に臨んだ」と、侵略戦争を180度ねじ曲げて解放戦争と描いている。この章の結論は「(太平洋戦争は)世界史を塗りかえる偉業」(224p)で締めくくっている。

(3)「朝鮮人が併合を望んだ」のウソ
 著者は「韓国併合は日本が決して積極的に進めたものではなかった」(189p)とか、「韓国のほうにも併合運動を進める動きがあった」(191p)などと、韓国併合を自己合理化しているが、では1919年に朝鮮全土で巻き起こった3・1独立運動を弾圧したのはどこのどいつだ。

 3月から5月にかけて、朝鮮でのデモ回数は1542回、延べ参加人数は205万人に上った。独立運動を鎮圧するために、日本は7509人の朝鮮人を虐殺し、15849人を負傷させ、46303人を逮捕し、715戸の家、47の教会、ふたつの学校を燃やしたのではないか。

 また著者は「小学校を作り、大学を作り、専門学校を作った」と自慢げに書いているが、そこでの教育は朝鮮語を奪い、朝鮮の歴史を抹殺する日本人化教育だったことを隠している。さらに言えば、「韓国総監府を置き、伊藤博文が初代総監」(189p)と書いているが、「統監府」「統監」が正しく、著者は基本的な知識にも欠けている。

(4)「日本=悪玉」論を否定したいのか
 著者は「これ(張作霖爆殺)はもうソ連の諜報部が画策したものと断定してもいいと思う」(207p)と、断定+推測しているが、『史学雑誌』『歴史学研究』では「ソ連特務機関犯行説」を唱えている専門家は見当たらず、かつて「新しい歴史教科書をつくる会」に関わったことのある近代史家の伊藤隆・秦郁彦のいずれも「特務機関犯行説」を支持していない。つくる会自身が編纂した中学校用歴史教科書である「改訂版 新しい歴史教科書」(扶桑社刊)及び「新版 新しい歴史教科書」においても、張作霖爆殺事件を「関東軍によるもの」と記載している。

 本書出版(2011年)後の2013年現在、「ソ連特務機関犯行説」が歴史学の専門誌である『史学雑誌』『歴史学研究』で採り上げられたことはない。また、「ソ連特務機関犯行説」が日本で紹介されたあとに出版された、日本近代史の専門家による日本近代史概説書や、17世紀以降の満洲史の概説書、近代史における主要人物の満洲での活動を概観した著書などでもこの事件は通説通り関東軍河本大佐らの犯行であると断定した記述がされており、「ソ連特務機関犯行説」は言及されていない。(参考:ウィキペディア)

(4)「南京大虐殺の責任」の所在
 著者は「蒋介石は南京をオープン・シティにしなかった。そのため日本軍は南京に対して総攻撃した」(216p)と、日本軍の南京突入を中国軍のせいにし、「(松井石根大将は)南京で規律の徹底を訓告した」(230p)と書いている(責任ない論)が、果たしてどうなのか。

 中支那軍司令官として、南京に派遣された松井石根は「戦時に於ける支那兵及一部不逞の民衆が、戦乱に乗じて常習的に、暴行・掠奪を行ふことは、周知の事実」「南京陥落当時に於ける暴行・掠奪も支那軍民の冒せるものも亦尠からざりしなり」「之を全部、日本軍将兵の責任に帰せんとするは事実を誣(し)ふるものなり。」と、南京に突入した皇軍がおこなった残虐行為を中国人民になすりつけているのである。(注:誣う=作りごとを言う)

 しかし、「(支那兵による)残虐行為の何件ぐらいがあなたに報告されたのですか」と問われて、松井は「それは具体的に事実を聞いたのではありません。一般のただ風説を伝えて私に話したのであります。」と答えているように、事実確認もしないで、中国人民のせいにしているという、悪質さである。

 しかも、中支那軍司令官としての責任を問われた松井は「各軍隊の将兵の軍紀・風紀の直接責任者は、私ではない」「私が受けておる権限は、両軍を作戦指導するという権限である」「軍紀・風紀の問題に関しては、法規上いかに私の責任を糾すべきかは、これはかなりむずかしい問題」と答えて、無責任を決め込んでいる。

 もしも、松井に権限がないとすれば、「(南京)占領当時の倥偬(こうそう=忙しい)たる状勢に於ける興奮せる一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行ひたる者ありたるならむ」「17日南京入城後、初めて憲兵隊長より之を聞き、各部隊に命じて即時厳格なる調査と処罰をなさしめたり」と供述していることと矛盾している。

 松井は南京での暴行・掠奪は知らなかったといい、南京入城後に調査と厳罰を指示したが、指導者としての責任を問われたら、一転して自分には権限がないと居直っているのだ。(『日中戦争 南京大残虐事件資料集 極東国際軍事裁判関係資料編』、歴史文書なので、「支那」はそのままにした)

(5)「自衛のための戦争」というウソ
 著者は、ヒロヒトの「対米戦争の遠因として、日本人の移民およびその迫害の問題を挙げ、近因として石油をとめられた」(200p)、東条英機の「こうされたから、こうせざるを得なかった」(220p)という言を引き、「アメリカのせいでせざるを得なかった戦争」として描いている。そうして戦犯天皇や東条を擁護しているのである。

 さらに、マッカーサーの「満州を共産圏に渡さないことが東亜安定の生命線」(234p)を引き合いに出して、中国東北部の植民地支配を居直り、「日本がおこなった戦争は侵略戦争ではなく、自衛のための戦争であった」(234p)と結論づけている。

(6)「八紘一宇」の意味をごまかすな
 著者は「八紘一宇は国中1軒の家のように仲良くしよう」(025p)という意味だと書いているが、「八紘」とは「8つの方位」「天地を結ぶ8本の綱」を意味し、これが転じて「世界」を意味する言葉として解釈されている。

 1940年には、第2次近衛内閣による基本国策要綱で、「皇国ノ国是ハ 八紘ヲ一宇トスル 肇国ノ大精神ニ基キ 世界平和ノ確立ヲ 招来スルコトヲ以テ根本トシ 先ツ皇国ヲ核心トシ 日満支ノ強固ナル結合ヲ根幹トスル 大東亜ノ新秩序ヲ建設スルニ在リ」と、大東亜共栄圏の建設のなかで「八紘一宇」に言及している。

 このように「八紘」は「日満支(日本、中国東北部、中国)」をさしており、世界支配(侵略)の野望を表す言葉であり、著者は「八紘一宇は…今日もなお吟味すべき価値のある重要な言葉」と主張している。

(7)どん詰まりの「ポツダム宣言受託」を英断とは
 著者は「ポツダム宣言を昭和天皇の英断によって受託した」(227p)と、蒙昧な政治家・軍人の継戦意志を抑えてヒロヒトが戦争を終わらせたかのように美化している。「清国に対する宣戦の詔勅」「日露戦争開戦詔書」「米英両国に対する宣戦の詔書」を出したのはヒロヒトではなかったのか。

 1945年8月9日「御前会議」の半年前には、ヒロヒトが「もう一度戦果を挙げてから」(1945.2.14)と言って、降伏を先延ばしにしたことによって、沖縄では10万人の住民が無為に殺されたことを忘れたか。

(8)「盧溝橋事件中国陰謀説」には根拠がない
 著者は「盧溝橋事件の発端となった銃撃…はコミンテルンおよびその手先になった中国共産党の兵士による」(213p)と書いているが、「中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見た」という葛西純一の証言を根拠にしているが、葛西が現物を示していないので、事実として確定できない。

 著者は事実として確定できていないことを事実であるかのように書いているだけだ。まさに『決定版日本史』ではなく、『デマ版日本史』という表題に変えるべきだろう。

(9)神話を行動原理にする歴史教育を阻止しよう
 「古事記や日本書紀のような公平な歴史書」(031p)として、客観的な裏付けのない古文書をそのまま事実であると鵜呑みにする著者の態度は主観主義以外のなのものでもない。

 そのうえで、著者は「敗戦まで、日本人は自分達の歴史を古事記、日本書紀によって認識し、それに従って行動してきた」(036p)などと書き殴り、神話を行動原理にまで高めることを要求している。それは戦争賛美の歴史観に直結しており、断乎として阻止しなければならない。

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