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メモ/「道徳教科書」に関して

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メモ/「道徳教科書」に関して

(1)道徳=モラル(moral)とはなにか
 日本語の道徳に相当する英語としてはモラル(moral)がある。この言葉はラテン語の mos(モース)に由来し、その基本的意味は習慣、風習である 。道徳の「徳」に当たる英語 virtueは通例「美徳」と訳されるが、語源はラテン語の virtus(ウィルトゥース)である。元来「男(vir)らしさ」というニュアンスをもっていた。「男」を特徴づける要素として、戦場での勇気、武勇の徳を意味していたのである。

 ローマでvirtus(勇気)と並んで重んじられた徳目にpietas(ピエタース)がある。英語には piety(敬虔)という形で取り込まれているが、ローマにおいては、神を敬う心に加え、運命を尊ぶ心、国家への忠誠心、家族や友人への愛情など幅広い意味を持っていた。(HP「山下太郎のラテン語入門」)

 コトバンクによれば、「モラル(moral)とは倫理観や道徳意識のこと。法令順守はもちろんのこと、適正な出退勤や会社の資産・備品の適正使用など公私の区別をきちんとつけることや取引における公正さなど、公序良俗に反しない行動全般をさす」とされている。ここでは資本主義社会におけるモラルの最重要項目である「財産権の不侵害」を欠落させているが、それでも日本の道徳(修身)とは相当の乖離がある。

(2)道徳は生産関係の産物
 戸坂潤は「社会科学乃至マルクス主義による道徳問題プロパーに関する文献は極めて乏しい」と書いているが(「道徳に関する社会科学的観念」1936年)、マルクスは『反デューリング論』で「従来のあらゆる道徳理論はその終局においては、その当時の経済的社会的状態の所産である」と言っている(梅本克巳『唯物史観と道徳』より孫引き)。

 すなわち道徳(モラル)は生産関係―アジア的、古代的、封建的、近代ブルジョア的―によって変化するもので、その領域内での支配階級のイデオロギーが反映されており、時代や国家や集団によって、道徳の内容(徳目)が違ってくる。すなわち、道徳は学問的に検証できず、科学的な根拠をもちえない非科学的な「学問」といえる。

 日本で言えば、封建時代(幕藩体制)の道徳は「御恩と奉公」に基づく主従関係の倫理規範であり、大日本帝国下の道徳は「天皇と臣民」間の倫理規範(修身)であり、日本国憲法下の道徳はそれらとは相対的に違う内容を持っている。

 しかし、極右安倍政権は来たるべき戦争の時代のために、道徳を修身に化学変化させようとしている。

(3)今いちど戸坂潤から学ぼう
「多くの倫理学は道徳を個人道徳と考えている。道徳の本質を個人的性質にあると考えている」
「史的唯物論によれば道徳の本質はその社会的性質に存する」
「我が国の封建的武士階級の権力を反映する社会規範が忠義であり、武士道であり、また孝行であった」(赤穂浪士)
「社会的権威をもっている一切の道徳、道徳律、徳目・善悪の標準が社会的権力を、社会的身分関係を、社会的秩序を、つまり社会的生産関係を反映している社会的規範」
「道徳が一つのイデオロギーとして、社会規範として説明されるとき、道徳の発生、変遷、消滅等々の歴史的変化が結論される」
「社会が階級社会である限り、道徳とは階級規範に他ならない。これが階級道徳乃至道徳の階級性ということである」。

 道徳や倫理は人間(社会・国家)にはじめから備わっているものではなく、人間社会の発展にしたがって生成・変化してきた。階級社会では支配・被支配に都合のいい道徳が押しつけられ、支配階級の利益が図られている。

 したがって、私たちは新たな「道徳」の対置ではなく、その道徳が依って立つ社会そのものを土台から変えることを対象化し、一体的に道徳問題に取り組まねばならないだろう。

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