『早稲田1968』(2013.6.1)について
三田誠広は『早稲田1968』の中で、70年安保・大学闘争を「祭りと洗脳」と評論している。「祭り」に参加したと言っているが、御輿を担いだわけではなく、周りで見ていたようだ。
三田誠広は党派に結集した学生を「洗脳された存在」として描いているが、社会党にしろ、共産党にしろ、中核派にしろ、ブントにしろ、革マルにしろ、革労協にしろ、極右にしろ、その他様々な党派にしろ、党派選択とは体制と革命の問題である。
党派選択を「洗脳」として否定することは、体制(資本主義)が持つ矛盾の存在を否定し、体制と衝突する自己を否定し、自らを変革する契機を見失うことではないか。それは美化され、神格化された資本主義による「洗脳」によってもたらされているのだろう。
三田誠広は70年の「祭り」が終わった後、学生たちは「洗脳から目覚めた」と言っているが、三田誠広の意識は体制側にあり、自らが傷つくほどには人生を投入しなかったからだろう、挫折もなく、したがって「資本主義の洗脳」から目覚めていないようだ。そもそも、『マルクスの逆襲』で、戦後経済を社会主義であるかのように美化し、石川県立図書館の著書紹介に「革命や武装蜂起がなくてもマルクスの夢は実現できる」と評されているようでは、様になるまい。
70年安保・大学闘争を「祭りと洗脳」というなら、三里塚も、狭山も、国鉄も、9/11ツインタワービル事件も、アウンサンスーチーさんのたたかいも、韓国光州蜂起も、アラブの春も、いま、まさにたたかわれているシリアの内戦も、イスタンブールのたたかいも、そして3/11後の反原発闘争も、反体制運動のすべてが「祭りと洗脳」ということになる。
インターネットで検索したが、三田誠広は核兵器や原発問題について発信したことはないようで(創作ノートにはあるが)、やっぱり、階級闘争の渦中には入れない人間のようだ。いま、福島原発事故について、一言も触れることなく、『早稲田1968』を出版することにどんな意味があるのだろう。あるとすれば、「脱原発祭り」の質的転換に恐怖する三田誠広の姿である。
1968年の金沢にも、三田誠広が言う「祭りと洗脳」があり、青年たちは体制と革命の問題で、必死にもがいていた。大学で配布された1枚のビラを紹介する。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今や憎むことを恐れてはならない
今や狂信的(ママ)であることを恥じてはならない
ぼくは彼らに不幸の借りがある
−ポール・ニザン−
絶え間なく降り続く雪の中、君は何処へ行くのか? この重苦しい、黄昏の冬の季節、君は如何なる「変身」を遂げようとするのか?
きみ! 耳をすませ、眼をこらせ! そこに君は、状況が、体制が、君の首を絞めようとしているのを見出すだろう。Unvisibleな、しかし、確実な、僕たちをだめにしようとしている状況。
その中で、ぼくたちに残された選択は、今や、二つしかない。加担するのか、それとも闘うかだ。マイホーム主義への、日常生活への埋没は、体制、秩序への加担であり、精神的な自殺であり、逃亡でしかない。それは“緩慢な死”の選択を意味する。
そして、いま、そのような状況の中、自己回復の、困難で果てしない旅へ出発しようとする一群の人々がいる。己の生を、自分に繋がる全ての人間の生を真に生きぬくために。
一切の無駄話をやめよ。ぼくらの関与すべきは、個々の不幸、事件、具体的な生活であり、しかも、それに埋没するのではなく、それを、そして自分を、変革すること、即ち、生きるということなのだ。
いまや、ぼくたちは、ひとつの問いかけに直面している。すべての虚妄、怠惰、怯儒と決別すること。ぼくたちに精神的な死を強いるこの巨大な体制に真っ向うから、「否(ノン)」を叫ぶこと。
日常性への埋没。思想的、精神的自殺。それらすべてを、甘美な誘いを拒否せよ。
逃げてみたところでなんにもならないのだ!
20年近い己の生を総括し、新たなる変革を企てること。
いま、この、空気の流れさえ止まってしまったかのような静かな冬の季節。
その中で、ぼくたちに迫られているのは、ひとりひとりの深刻な総括と「変身」だ!!
三田誠広は『早稲田1968』の中で、70年安保・大学闘争を「祭りと洗脳」と評論している。「祭り」に参加したと言っているが、御輿を担いだわけではなく、周りで見ていたようだ。
三田誠広は党派に結集した学生を「洗脳された存在」として描いているが、社会党にしろ、共産党にしろ、中核派にしろ、ブントにしろ、革マルにしろ、革労協にしろ、極右にしろ、その他様々な党派にしろ、党派選択とは体制と革命の問題である。
党派選択を「洗脳」として否定することは、体制(資本主義)が持つ矛盾の存在を否定し、体制と衝突する自己を否定し、自らを変革する契機を見失うことではないか。それは美化され、神格化された資本主義による「洗脳」によってもたらされているのだろう。
三田誠広は70年の「祭り」が終わった後、学生たちは「洗脳から目覚めた」と言っているが、三田誠広の意識は体制側にあり、自らが傷つくほどには人生を投入しなかったからだろう、挫折もなく、したがって「資本主義の洗脳」から目覚めていないようだ。そもそも、『マルクスの逆襲』で、戦後経済を社会主義であるかのように美化し、石川県立図書館の著書紹介に「革命や武装蜂起がなくてもマルクスの夢は実現できる」と評されているようでは、様になるまい。
70年安保・大学闘争を「祭りと洗脳」というなら、三里塚も、狭山も、国鉄も、9/11ツインタワービル事件も、アウンサンスーチーさんのたたかいも、韓国光州蜂起も、アラブの春も、いま、まさにたたかわれているシリアの内戦も、イスタンブールのたたかいも、そして3/11後の反原発闘争も、反体制運動のすべてが「祭りと洗脳」ということになる。
インターネットで検索したが、三田誠広は核兵器や原発問題について発信したことはないようで(創作ノートにはあるが)、やっぱり、階級闘争の渦中には入れない人間のようだ。いま、福島原発事故について、一言も触れることなく、『早稲田1968』を出版することにどんな意味があるのだろう。あるとすれば、「脱原発祭り」の質的転換に恐怖する三田誠広の姿である。
1968年の金沢にも、三田誠広が言う「祭りと洗脳」があり、青年たちは体制と革命の問題で、必死にもがいていた。大学で配布された1枚のビラを紹介する。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今や憎むことを恐れてはならない
今や狂信的(ママ)であることを恥じてはならない
ぼくは彼らに不幸の借りがある
−ポール・ニザン−
絶え間なく降り続く雪の中、君は何処へ行くのか? この重苦しい、黄昏の冬の季節、君は如何なる「変身」を遂げようとするのか?
きみ! 耳をすませ、眼をこらせ! そこに君は、状況が、体制が、君の首を絞めようとしているのを見出すだろう。Unvisibleな、しかし、確実な、僕たちをだめにしようとしている状況。
その中で、ぼくたちに残された選択は、今や、二つしかない。加担するのか、それとも闘うかだ。マイホーム主義への、日常生活への埋没は、体制、秩序への加担であり、精神的な自殺であり、逃亡でしかない。それは“緩慢な死”の選択を意味する。
そして、いま、そのような状況の中、自己回復の、困難で果てしない旅へ出発しようとする一群の人々がいる。己の生を、自分に繋がる全ての人間の生を真に生きぬくために。
一切の無駄話をやめよ。ぼくらの関与すべきは、個々の不幸、事件、具体的な生活であり、しかも、それに埋没するのではなく、それを、そして自分を、変革すること、即ち、生きるということなのだ。
いまや、ぼくたちは、ひとつの問いかけに直面している。すべての虚妄、怠惰、怯儒と決別すること。ぼくたちに精神的な死を強いるこの巨大な体制に真っ向うから、「否(ノン)」を叫ぶこと。
日常性への埋没。思想的、精神的自殺。それらすべてを、甘美な誘いを拒否せよ。
逃げてみたところでなんにもならないのだ!
20年近い己の生を総括し、新たなる変革を企てること。
いま、この、空気の流れさえ止まってしまったかのような静かな冬の季節。
その中で、ぼくたちに迫られているのは、ひとりひとりの深刻な総括と「変身」だ!!