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20180825 植民地朝鮮で国民優生法(断種)適用を検討

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植民地朝鮮で国民優生法(断種)適用を検討

 旧優生保護法下で、1949年から1992年までに約25000人が不本意な不妊手術を強制された。このかん調査が進み、強制不妊手術の実態が明らかになりつつあるが、政府は日弁連の意見書(2017.2)に、「当時は適法だった」と居直り、仙台地裁への国側準備書面(2018.7.31)では「救済義務なし」と、謝罪しようとしない。

 旧優生保護法は戦前の国民優生法(1940~1948年)の戦後版として、1948年に公布された。国民優生法はナチス断種法と同様遺伝病限定主義だったが、旧優生保護法は規制対象を非遺伝性疾患に拡大し、戦前以上に凶暴な障がい者差別・抹殺政策として展開された。

 奈良女子大学・ジェンダー法学の三成美保さんによれば、国民優生法は断種法としてよりも中絶禁止法として機能した。国民優生法のもとで実施された断種手術は538件にしかならず、強制断種は実施されていないと書いている(ブログ「ジェンダー視点で歴史を読み替える」より)。

国民優生法の成立過程
 三成さんによれば、日本における断種法の立法化は、1934年に「民族優生保護法案」としてはじまった。断種の具体化は、1930年3月、保健衛生調査会に民族衛生に関する特別委員会が設置されたことにはじまる 。1930年、内務省保健衛生調査会が設置(34年審議打ち切り)され、1934~38年には、民族優生保護法案(議員提案5回)が帝国議会に提出された。1938年1月、厚生省が創設され、…予防局に優生課が設置された。1938年11月、優生課は民族衛生研究会をつくり、…1940年4月、国民優生法が公布された。(同上ブログより)

 このようにして公布された国民優生法は全20条で構成され、その目的と施行方法を<第一条 本法ハ悪質ナル遺伝性疾患ノ素質ヲ有スル者ノ増加ヲ防遏スルト共ニ健全ナル素質ヲ有スル者ノ増加ヲ図リ以テ国民素質ノ向上ヲ期スルコトヲ目的トス。第二条 本法ニ於テ優生手術ト称スルハ生殖ヲ不能ナラシムル手術又ハ処置ニシテ命令ヲ以テ定ムルモノヲ謂フ>と規定されている。
 国民優生法は「悪質なる遺伝性疾患の増加」を防止し、「健全なる素質を有する者」の増加、「国民素質の向上」を目的として、「生殖を不能ならしむる手術」をおこなう法律だった。

植民地朝鮮の人口抑制政策
 1944年当時の資料に、「朝鮮人ノ現在ノ動向二就テ」(外交史料館所蔵、戦前期外務省記録A.5.0.0.1・1の第2巻)に「<極秘>朝鮮統治施策企画上ノ問題案」という公文書がある(今田真人著『極秘公文書と慰安婦強制連行―外交資料館などからの発見資料』より孫引き)。

1、人口配分…地理的、文化的、血族的環境ヨリ生成セル民族感情ヲ大和民族化スルガ為ニハ数的及文化的優位ヲ要請セラルルヲ以テ朝鮮民族ノ数ハ可及的少数ナルヲ適当トスル然ルニ現在既ニ2400万ヲ算スルヲ以テ之ガ同化ヲ促進スルガ為ニハ朝鮮民族ヲ刺激シ却テ同化ヲ困難ナラシメザル留意ノ下ニ一部移住、増加抑制等ノ方策ヲ遂行セザルベカラズ、依ッテ今其ノ数的限界ニ付考慮スルニ朝鮮ハ将来二十年間ニ工業化等ニ依リ少ナクトモ三千万ノ人口包容力ヲ有スルモノト認メラルルヲ以テ朝鮮人ノ増加○○、内地増加人口ノ配置、同化遂行上ノ難易等ノ要請ヨリ比較考慮シ三千万人中朝鮮人二千五百万人、内地…
(1)増加人口ノ抑制。イ、早婚ノ弊風ヲ打破スルト共ニ女子ノ婚姻年齢ヲ現在ニ比シ概ネ2年昂メ20歳以上ニ達セザレバ結婚セシメザルコトトシ男子ニ付テモ概ネ5年昂メル如ク指導ス。ロ、女子勤労ヲ奨励シ女子ヲ内房ヨリ社会ニ解放スル如ク指導ス。ハ、男子ノ単身出稼ヲ奨励シ経済生活ノ向上ヲ企図セシムル如ク指導ス。ニ、抑制方策ニ即応スル優生法ヲ施行ス。本方策実施ノ為ニハ凡ユル機関要スレバ国体又ハ公営ノ機関ヲ通ジ之ガ指導ヲ為サシメ20年間ニ凡ソ500万ヲ抑制スルヲ目途トス

優生法による断種政策の準備
 すなわち、朝鮮人を日本人化するためには、1944年現在2400万人の朝鮮人の一部を移住(強制連行)、晩婚化、優生法(断種)などによって500万人減らして、1900万人にするという計画である。

 ところが、植民地朝鮮の人口は1920年=約1726万人、1930年=約2105万人、1940年=約2412万人であり、1920年から1940年にかけて、植民地朝鮮の人口は約40%増加している。1944年以降の人口増加を見込めば(増加率140%)、20年後には約3360万人になり、これを1900万人に抑えるということならば、その差1460万人を何らかの方法(強制連行、晩婚化、断種など)で抑制しようという方針である。

 実際に日帝は成人男性を炭鉱や鉱山に連行して使い捨て、結婚前の少女を朝鮮女子勤労挺身隊として不二越などの工場へ強制連行した【大蔵省管理局『日本人の海外活動に関する歴史的調査』では、日本への朝鮮人労務動員数は72万4787人】。そして最後の手段として優生法による断種の準備にかかっていたのではないか。

 ドイツでは、1934年1月に「遺伝病子孫予防法」が施行され、「遺伝病を持った子孫の数を減らす、ドイツ民族体の向上」を理由に、1945年までの12年間で40万人に不妊手術を強制した。精神病者や障がい者は「健康な人々に負担をかけ、社会のお荷物」として、第2次世界大戦開始から終結までに20万人の大量虐殺を強行した。加えてユダヤ人を600万人以上虐殺した。

負の歴史を繰り返さないために
 戦前の国民優生法はナチスの影響を強く受けて成立し、1944年の「朝鮮統治施策企画上ノ問題案」では、植民地朝鮮の人口抑制のために国民優生法に基づいて断種方針を打ち出したことをうかがわせる。

 朝鮮・中国人民をはじめとするアジア人民による抗日解放戦争によって、日帝に1945年8月の敗戦を強制したことによって、1944年断種方針を頓挫させることができた。この侵略戦争が長引けば、朝鮮では国民優生法(断種)が適用され、さらに多大な犠牲者を生み出すところであったが、朝鮮人民はたたかいをもってこれを阻止したのである。

 いま、旧優生保護法下の強制不妊手術にたいして、被害者の怒りが解放され、裁判が始まっている。わたしたちは再びの惨禍をもたらさないために、思想的にけじめをつけ、被害者とともにたたかわねばならない。


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