(仮題)『島田清次郎よ、お前は何者だ』
2019年1月
目次
はじめに
<1>島田清次郎の出生
<2>島清少年期の社会的背景
<3>島田清次郎の思想形成過程
①島清日記とは
②中学時代の読書
③青年期の読書歴
<4>島田清次郎の階級意識
①宗教(暁烏敏)との訣別
②資本主義社会観
③社会主義社会観
<5>島田清次郎の思想的変遷
①日本社会主義同盟加盟
②社会主義か国家社会主義か
③国家社会主義の動向
④ブルジョア人道主義への後退
<6>島田清次郎の幽閉と抹殺
<7>島清の部落解放論と女性解放論
①部落差別にたいする態度
②女性差別にたいする態度
③朝鮮植民地支配にたいする態度
<8>幽閉されたる島清を解放せよ
①島清文学碑(美川平加町)
②島清追慕碑(小川町)
③プロレタリア文学として
はじめに
今年は、島田清次郎の『地上』が出版されてから、ちょうど100年になる。『地上』(第1~4部)は4年間で50万部が発行されたが、当時の読者たちはどのように受けとめていたのだろうか。国立国会図書館デジタルコレクションのなかに、9冊の島清作品がアップされている。アップされた島清作品の余白には、当時の一般読者の感想が書きつけられており、注視に値するのではないだろうか。
さて、本論考での筆者の問題意識は、大正期(1910~20年代)の島田清次郎(作品)が社会学的にどのような位置にあるのかを明らかにすることにある。島清について多くの論評が発表されてきたが、杉森久英が「彼(島清)が書いた『地上』そのものには興味がない」(『風雪の碑』1968年)とあけすけに表明しているように、大方の評者は作品自体にはあまり関心がなく、島清のスキャンダルと病気に焦点があてられている。
作品・作家の評価は第1に、作品自体が何を表現し、どのような影響を与えたのかに据えられなければならない。作家の個人的な資質は当然作品に投影されるが、それは二義的な問題である。例えば、島清の実生活では、親子関係、男女関係、友人・知人関係では破綻を来しており、作品のなかに色濃く投影されているが、資本主義批判・社会主義論については島清の思想として堅実に表現されている。
しかし、多くの論評を概観してきたが、尾崎秀樹は「『地上』がひろく読まれたのは…主人公の社会への抵抗が支持されたからである」(「大正期人生派の一典型」1974年)、奈良正一は「後来の社会主義的な文学を感じさせ」(『美川町文化誌』)などと正当な評価もあるが、鈴木晴夫のように、島清の資本主義批判を「内容のとぼしい理想主義的な長広舌」(「裸の王様」)と、あらかじめ論評対象から排除しているものが多く、島清の資本主義批判・社会主義論は対象化されてこなかった。
本論考では、冗長さは免れないが、『地上』をはじめとした島清作品のなかで展開されている資本主義批判・社会主義論(思想、哲学)について再確認し、さらにそれがマルクス主義なのか、国家社会主義なのか、ブルジョア人道主義なのかについても考察したいと思う。
また、島清は被差別部落や、女性の地位、朝鮮人民についても触れており、この点についても島清の考えを整理したい。
以上のテーマを課題にして、『若芽』(1914年)、『地上』第1部(1919年)、『地上』第2部(1920年―1917年『死を超ゆる』の一部を含む)、『二つの道』、『早春』、『大望』(1920年)、『帝王者』(1921年)、『地上第3部』(1921年)、『閃光雑記』、遺品『雑記帳』(1921年)など、1914年から1921年までに執筆・発行された、主として初期作品を対象化した。1922年以降の著作は対象化しなかった(今後の課題)。
写真左から、当時の美川町、島清の生誕地、美川手取川河口の帆船
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参考資料
『島田清次郎―誰にも愛されなかった男』(風野春樹著2016年)
『天才と狂人の間―島田清次郎の生涯』(杉森久英著1962年、河出書房新社)
『明治大正期の石川県における労働運動』(石川県社会運動史研究会1972年)
『昭和前期の石川県における労働運動』(石川県社会運動史研究会1975年)
『石川県社会運動史』(石川県社会運動史刊行会1989年)
『石川県の百年』(橋本哲哉、林宥一1987年)
『冬』(室生犀星1921年)
『室生犀星と表棹影―青春の軌跡』(小林弘子2017年)
「島田清次郎の中学時代―その知られざる側面」(小林輝冶著)
『日本硬質陶器のあゆみ』(1965年)
『島田清次郎君のこと』(加納作次郎著1930年)
『島清と青春』(林正義)
『残夢 大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯』(鎌田慧著2015年)
『文学的回想』(大熊信行著1977年)
「裸の王様―島田清次郎の悲運」(鈴木晴夫『国文学解釈と鑑賞』1983年)
『知っ得 発禁・近代文学誌』(山本芳明著2008年)
『百年の誤読』(豊崎由美×岡崎宏文2004年)
『忘れられた作家、忘れられた本』(山下武1987年)
『美川町文化誌』第7章(1969年)
「美川が生んだ人間・島田清次郎」(北野銀一『広報みかわ』1983年)
2019年1月
目次
はじめに
<1>島田清次郎の出生
<2>島清少年期の社会的背景
<3>島田清次郎の思想形成過程
①島清日記とは
②中学時代の読書
③青年期の読書歴
<4>島田清次郎の階級意識
①宗教(暁烏敏)との訣別
②資本主義社会観
③社会主義社会観
<5>島田清次郎の思想的変遷
①日本社会主義同盟加盟
②社会主義か国家社会主義か
③国家社会主義の動向
④ブルジョア人道主義への後退
<6>島田清次郎の幽閉と抹殺
<7>島清の部落解放論と女性解放論
①部落差別にたいする態度
②女性差別にたいする態度
③朝鮮植民地支配にたいする態度
<8>幽閉されたる島清を解放せよ
①島清文学碑(美川平加町)
②島清追慕碑(小川町)
③プロレタリア文学として
はじめに
今年は、島田清次郎の『地上』が出版されてから、ちょうど100年になる。『地上』(第1~4部)は4年間で50万部が発行されたが、当時の読者たちはどのように受けとめていたのだろうか。国立国会図書館デジタルコレクションのなかに、9冊の島清作品がアップされている。アップされた島清作品の余白には、当時の一般読者の感想が書きつけられており、注視に値するのではないだろうか。
さて、本論考での筆者の問題意識は、大正期(1910~20年代)の島田清次郎(作品)が社会学的にどのような位置にあるのかを明らかにすることにある。島清について多くの論評が発表されてきたが、杉森久英が「彼(島清)が書いた『地上』そのものには興味がない」(『風雪の碑』1968年)とあけすけに表明しているように、大方の評者は作品自体にはあまり関心がなく、島清のスキャンダルと病気に焦点があてられている。
作品・作家の評価は第1に、作品自体が何を表現し、どのような影響を与えたのかに据えられなければならない。作家の個人的な資質は当然作品に投影されるが、それは二義的な問題である。例えば、島清の実生活では、親子関係、男女関係、友人・知人関係では破綻を来しており、作品のなかに色濃く投影されているが、資本主義批判・社会主義論については島清の思想として堅実に表現されている。
しかし、多くの論評を概観してきたが、尾崎秀樹は「『地上』がひろく読まれたのは…主人公の社会への抵抗が支持されたからである」(「大正期人生派の一典型」1974年)、奈良正一は「後来の社会主義的な文学を感じさせ」(『美川町文化誌』)などと正当な評価もあるが、鈴木晴夫のように、島清の資本主義批判を「内容のとぼしい理想主義的な長広舌」(「裸の王様」)と、あらかじめ論評対象から排除しているものが多く、島清の資本主義批判・社会主義論は対象化されてこなかった。
本論考では、冗長さは免れないが、『地上』をはじめとした島清作品のなかで展開されている資本主義批判・社会主義論(思想、哲学)について再確認し、さらにそれがマルクス主義なのか、国家社会主義なのか、ブルジョア人道主義なのかについても考察したいと思う。
また、島清は被差別部落や、女性の地位、朝鮮人民についても触れており、この点についても島清の考えを整理したい。
以上のテーマを課題にして、『若芽』(1914年)、『地上』第1部(1919年)、『地上』第2部(1920年―1917年『死を超ゆる』の一部を含む)、『二つの道』、『早春』、『大望』(1920年)、『帝王者』(1921年)、『地上第3部』(1921年)、『閃光雑記』、遺品『雑記帳』(1921年)など、1914年から1921年までに執筆・発行された、主として初期作品を対象化した。1922年以降の著作は対象化しなかった(今後の課題)。
写真左から、当時の美川町、島清の生誕地、美川手取川河口の帆船



参考資料
『島田清次郎―誰にも愛されなかった男』(風野春樹著2016年)
『天才と狂人の間―島田清次郎の生涯』(杉森久英著1962年、河出書房新社)
『明治大正期の石川県における労働運動』(石川県社会運動史研究会1972年)
『昭和前期の石川県における労働運動』(石川県社会運動史研究会1975年)
『石川県社会運動史』(石川県社会運動史刊行会1989年)
『石川県の百年』(橋本哲哉、林宥一1987年)
『冬』(室生犀星1921年)
『室生犀星と表棹影―青春の軌跡』(小林弘子2017年)
「島田清次郎の中学時代―その知られざる側面」(小林輝冶著)
『日本硬質陶器のあゆみ』(1965年)
『島田清次郎君のこと』(加納作次郎著1930年)
『島清と青春』(林正義)
『残夢 大逆事件を生き抜いた坂本清馬の生涯』(鎌田慧著2015年)
『文学的回想』(大熊信行著1977年)
「裸の王様―島田清次郎の悲運」(鈴木晴夫『国文学解釈と鑑賞』1983年)
『知っ得 発禁・近代文学誌』(山本芳明著2008年)
『百年の誤読』(豊崎由美×岡崎宏文2004年)
『忘れられた作家、忘れられた本』(山下武1987年)
『美川町文化誌』第7章(1969年)
「美川が生んだ人間・島田清次郎」(北野銀一『広報みかわ』1983年)