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小説「蒼穹の月」(4)

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 小説「蒼穹の月」(4)    

                        小説であり、虚実こもごもであることを御了承下さい

(五)三小牛山(十二月十九日)

 三小牛山は金沢の南側にあり、白山に連なる標高百七十メートルほどで、雪が降れば、交通が途絶えてしまうような丘陵で、陸軍工兵作業場が設置されていた。数日前から三小牛山一帯は雪がぐずつき、白銀の世界になっていたが、山肌のところどころに雪だまりが残っている程度だった。
 尹奉吉は六時三十分に第九師団衛戍拘禁所を出発した。日の出にはまだ間があり、月明かりのなかに、城内の木々が黒子のように、ぬっと立っていた。尹奉吉は車窓から下弦の月を見やり、「誰ガアノ月ヲ射落トシテクレルノダロウカ」とつぶやいていた。
 やがて、尹奉吉を乗せた軍用車は金沢城から南に向かった。東に見える奥医王の山際は赤みを帯びてきた。三小牛村に向かう山道は雪も融け、軍用車はぬかるみをスリップしながら登っていった。稜線から太陽が顔を出し、冬枯れの雑木林には聞き慣れたカササギの声が響いていた。
 尹奉吉は目を移したが、その姿はなく、輝いていた月も、すでに消えていた。
 軍用車から降りてきた尹奉吉の手には、黒錆びた手錠が食い込み、腰縄が自由を奪っていた。革靴は泥濘と溶けかけた雪でずぶずぶに濡れ、重く足を引っぱった。心臓は高鳴り、身体全体がほてっていたが、足元から死の冷気が押し寄せてくるようだった。
 尹奉吉は、憲兵に両脇を抱えられ、足を滑らせながら笹藪の中を進んだ。三方が遮られたくぼ地にたどりつき、そこには一メートルほどの刑架が立てられ、藁むしろが敷かれていた。
 尹奉吉の目には最後の世界が映っていた。
 十メートル間隔で歩哨が立ち、西側には銃を持った兵士が隊列を整え、待機していた。小高いところにテントが張られ、幹部らしい人物が固まって、談笑していた。
 尹奉吉は刑架を背に、正座させられ、両腕が縛られた。目隠しをされた尹奉吉の視線の先には朝鮮半島があるはずだった。尹奉吉は再び見ることのない故郷を想っていた。

   父ニハ、相続シタ田畑モスクナク、農業デクラスニハアマリニモ貧シカッタ。母ハ聡明デ、教育ヘノ熱意ガアツク、ワタシノ知識欲ヲ満タシ、気質ヲハグクンデイッタ。
   村ハナダラカナ山ナミニ囲マレ、黄海ニソソグ沐渓川ガヒヨクナ大地ヲウルオシテイタ。
   ワタシハ村一番ノワンパク少年デ、「山猫」トヨバレテイテ、六歳デ書堂ニカヨイ、「千字文」ヤ「童蒙先習」ヲ学ンダ。日帝ハ植民地教育ノタメニ、徳山公立普通学校(小学校)ヲタテ、十一歳デ入学シタ。校長ハ日本人デ、ワタシハタビタビタイリツシタ。十二歳ノトキニ、胸ヲ高鳴ラセル朝鮮独立万歳ノサケビニフレ、抗日精神ガメバエテイッタ。ソレカラヤガテ十二年ニナロウトシテイル。

健の動揺
 尹奉吉が到着する前から、三小牛山は厳重な警戒下に置かれていた。写真機と三脚、革製の暗箱には五枚の乾板ケース、レンズ、シャッター、マグネシウムを焚くフラッシュ、そして折りたたんだ暗幕が秩序正しく収まっていた。
 健は徴兵検査では「丙種合格」とされ、これまで軍とは縁がなかった。健は心臓が止まりそうな気持ちで軍用車から降りた。
 根本大佐からは、処刑地全体を俯瞰できる写真、処刑前と処刑後の座像の三シーンを撮影せよと命じられていた。
 草藪のなかに、一メートルほどの刑架は異様な情景を醸し出していた。刑架の数メートル前に三脚を立て、写真機の蛇腹にあおりをかけて刑架にピントを合わせた。レンズにシャッターを取り付け、二、三回空シャッターを切り、作動状況を確認した。やがてタートルネックの白いシャツに、ホームスパンの背広を身につけた尹奉吉が両脇を抱えられて連れてこられ、刑架に縛り付けられるのを目にしたとき、手のふるえが止まった。
 白川が死亡した七時二六分が迫り、根本大佐は健に撮影を急がせた。
 軍幹部らが注視するなかを、健は尹奉吉に近づき、屈みこんで乱れた髪を整えた。縛られて冷え切った尹奉吉の手を握りしめた。指は拷問で折れ曲がり、痛々しかった。尹奉吉の荒い息を感じ、語りかけたかったが、声にならなかった。
 暗幕をかぶり、すりガラスに逆さに写る尹奉吉に焦点を合わせた。乾板ケースをセットして、シャッターの蝶ネジを巻き、ぶら下がるゴム球を握った。空気圧が留め金を外し、シャッター幕はゆっくりと巻き上がった。
 健は緩慢な動作で、暗幕を短冊形に折りたたみ、肩にかけた。やおら写真機をかつぎ、鉛のように重い足が、ぬかるんだ西側斜面を踏みしめていた。
 健は尹奉吉を見下ろすように三脚を立てた。そこは射撃隊のすぐ後方だった。
 根本大佐は写真撮影が終了するのをイライラしながら待っているようだった。健の右手はふたたびゴム球を握った。
 シャッター音を合図に、根本大佐は射撃を命じた。ふたりの兵士が進み出て、健の目の前で伏せ撃ちの体勢をとった。バーンと乾いた銃声が、三小牛山にこだました。
 健はふたたび、尹奉吉の目の前に三脚を立てた。目隠しに鮮血がにじみ出し、すでに息絶えた尹奉吉に焦点を定めた。三小牛山の谷間は明るさを増していた。

後頭部から流れ出た血は首筋を伝い、背広をまっ赤に染めていた。尹奉吉の遺体を清めるよう指示されていたが、根本大佐は遺体をそのまま軍用ジープに乗せて、野田村まで戻り、鬱蒼とした木々に覆われた墓地に入った。墓群を縫う細い道は陸軍墓地への参道にぶつかり、左に折れ、南に上り切ると、陸軍墓地に突き当たった。
 陸軍墓地は加賀藩前田家の墓群の西側にあり、日露戦争で戦死した兵卒の墓群、陸軍軍人合葬之碑、征清役戦死・病没軍人合葬碑、日露役陣没者合葬碑が並び、東側の端に、三日前に納骨式を終えたばかりの上海事件陣没者合葬碑があり、侵略戦争のあしあとがのこされていた。碑面の揮毫は尹奉吉が投げた爆弾で左足を失った植田謙吉の筆だった。
 陸軍墓地の北側にある管理事務所の前に、柩と数人の兵士、そして事務所脇の下方の通路に掘られた暗い穴が尹奉吉の到着を待っていた。
 まだ温もりが残る遺体は柩に納められた。蓋を打ち付ける金槌の音が早朝の静寂を破り、墓地に眠る兵士たちを驚かせているようだった。
 了道尼の短い読経の後、尹奉吉がふたたび起ちあがらないようにと、柩の上に、尹奉吉の額を貫通した銃弾が食い込み、血が染みた刑架が置かれ、厚く土がかぶせられ、兵士たちの軍靴によって踏み固められた。一輪の花も手向けられず、準備された標柱も立てられなかった。尹奉吉の遺体は暗葬にされ、人々の踏むがままに任せた。日帝は尹奉吉の死後も残虐だった。

  朝日洩るる雑木林に 銃声轟くその刹那! 犯人観念して刑柱にもたる
  日本で三度目の銃殺執行
   金澤憲兵分隊では十九日午前四時憲兵の不時呼集を行ひ、全市に警戒網を張ると共に第九師団軍法会議より根本検察官、曾野憲兵隊長、諏訪分隊長、佐藤検事正、蜂田県警察部長等の一行は憲兵隊の警戒自動車と共に午前六時刑場三小牛山に向けて出発した。刑場の三小牛山作業場は既に諸般の準備が整へられ静閑な冬枯れの雑木林を背景に一隅には荒莚が敷かれ新しく建てられた刑柱が朝霧の中にほの見える。午前六時三十分犯人尹は刑場に到着し、憲兵の拳銃に囲まれ手錠をはめられながら刑服に身を纏ひ引きおろされた。尹は既に観念した落着きを見せ、悠々とした足どりで進んだが、心もち悔恨の念からかうな垂れ勝であった。やがて憲兵の手によって執行準備が施され立会の検察官から「何もいふことはないか」と訊かれて、かるくうなづきながら眼隠しを受けた。折柄北国晴の朝日が雑木林を洩れてのぼり、見学の各隊将校代表等声もなく森閑とした気がみなぎる。かくて「撃て!」の命令と共に斉撃が行はれて兇悪なる尹の最後は止められた。続いて九師団軍医部瀬川一等軍医の検死があって、七時四十分全く刑の執行を終ったが、金澤地方での死刑執行は最初のことであり殊に軍法会議の銃殺刑としても日露役当時の過去に二件を数へるのみで、全国でも第三回目の銃殺であった。

 その日の夕方、健は香林坊のレストラン魚半にいた。『北国新聞』夕刊は、午前十一時に開かれた根本法務部大佐の記者会見内容を、これ見よがしに満載していた。健は夕刊を膝の上に置き、目を伏せた。

   なぜ、私たち日本人は台湾や朝鮮の植民地支配に異議を唱えないのか。なぜ、満州事変から上海事変にいたる中国侵略戦争を止められなかったのか。李奉昌や尹奉吉が導火線に火を付けたときにこそ、日本の労働者が目覚めねばならなかったし、声を涸らして連帯しなければならなかった。
   尹奉吉が神戸港に到着したとき、なぜ「尹奉吉万歳」と叫んで迎えることができなかったのか。なぜ、尹奉吉のたたかいに労働者の心がふるえなかったのか。なぜ、私たちは無為にこの日を迎えてしまったのか。
   せめてコムニストが、せめて知識人が、そして労働者こそが日帝の中国侵略に仁王立つ尹奉吉に連帯すべきであった。

 健の自問は尽きることなく、絶望と挫折の間で、堂々めぐりをくり返していたが、意を決して俊雄に連絡を取ることにした。
「俊雄さんや、尹奉吉がどこに埋葬されたのか判らんから、お参りにも行けんし、そんで、処刑された場所で、尹奉吉の魂を故郷に送り帰したいと思っとるんやが。」
「そうやな。尹萬年もそんな気持ちやろ。大阪じゃ、尹奉吉の銃殺処刑に反対するビラがまかれたそうやが、金沢じゃ口にもできん状況やしな。」
「処刑地は陸軍作業場の真ん中やし、ちょっとその辺の警備状況を調べてくれんか。状況を見てからやが、警備が手薄になる正月あたりがいいかな。」
「そうやな、雪も消えかかっとるし、わなを仕掛けるついでに見てくるか。」


(六)献辞(一九三三年一月)

「健ちゃん、すごい人たちと知り合いなんやね。」
 三小牛村に向かう薄暗い山道を、文子は息せき切って、健の後を追っていた。新しい年を迎え、処刑前に降った雪も融け、ぬかるんだ坂道は切り立った崖と深い谷の間を縫うように続いていた。視線の届かない谷底では、雀谷川が音をたてていた。
 頂上の近くまで来て、健は左に折れ、笹藪に入っていった。誰もが押し黙ったまま、その後に続いた。雪融け水を集めて、糸のような細いすじを描いている中尾山川に出た。足元はますます悪くなっていた。
 三方が塞がる谷間に降り、健は「ここが処刑された場所です」と、指を差した。
 尹萬年は雑草がおしつぶされ、真新しい土がむき出しになった地面をならし、新聞から切り抜いた尹奉吉の遺影を立てた。
 それぞれが持ってきた果物やお餅、それに焼酎の入った小瓶を遺影の前に並べた。時間がなかった。工兵隊の巡回が来る前にこの場を去らねばならなかった。尹萬年は前に出て、献辞を読み上げた。

  尹奉吉同志ヨ。
  先生ハ朝鮮国ノ正義ヲ万邦ニ示サレマシタ。
  朝鮮男子ノ心意気ヲ蘇生サセ、
  コノ敵地デ忠烈ニ殉国サレマシタ、
  同志尹奉吉ノ霊位坐定ヲ願イ、
  ゴ霊前ニ参リマシタ。
  故国山河ヲ胸ニ抱キ、
  永遠ノ道ヲ歩マレナガラ、
  同志ハサゾカシ国ト民族ノ幸セヲ願ワレタコトデショウ。
  同志ニオカレマシテハ、
  何卒、
  我等ニ委ネラレ、
  安ラカニオ眠リ下サイ。
  我々ハ同志ノ意志ヲ、
  コノ胸ニ抱キ、
  カナラズヤ成シ遂ゲマス。 

 献辞の最後は声にならなかった。次々と跪いて尹奉吉に別れを告げ、山を降りた。尹萬年は文子と並んで歩いていた。
「尹さんは何年生まれなの。」
「明治四十年生マレデ、健サンノヒトツシタデス。」
「じゃ、私の四歳上ね。」
 雀谷川のせせらぎを遮るように、尹萬年はつぶやいた。
「鶴彬ガ、イタラナァ。」
「知ってますわ。メーデーに仲間とともにNAPと染め上げた法被を着て参加したという人でしょ。」
「ソウ。鶴彬ガオレバ、ニギヤカニ尹奉吉ヲオクリダスコトガデキタノニ。」
 鶴彬は大阪衛戍監獄に収監されていた。しかも、最近の弾圧で五十人以上が検挙され、李心喆、金武揚らは地下に潜っていたし、この日、三小牛山に駆けつけることができた人はごく限られていた。
 それはしょうがないとしても、尹萬年には共産党の態度が腑に落ちなかった。一月の李奉昌の桜田門事件をファシストの挑発と非難していたし、尹奉吉のたたかいもまったく評価していなかった。「侵略戦争を内乱へ」という反戦・反軍闘争の呼びかけが口先だけのように思えてならなかった。
 雀谷川の流れが激しくなり、沢の音が二人の間に割り込んできて、会話が途切れた。ふと、懐かしいカササギの鳴き声に、尹萬年はふり返ってみたが、どこにもその姿はなかった。
 健は俊雄とならんで最後尾を歩いていた。太陽が右手の奥医王山から顔を出し、空がぼんやりと明るくなってきたが、健の心は晴れなかった。
 雀谷川が長坂用水に合流するところで、互いに目配せをした。少し先にある野村練兵場を避けて、野田村や大桑村に向かってちりぢりになっていった。(了)

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