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20200102 尹奉吉から学ぶ 私たちの進むべき道

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尹奉吉から学ぶ 私たちの進むべき道

 いよいよ、8年ぶりの『上海爆弾事件後の尹奉吉と資料』(第二版)発行の準備が進んでいる。
 一九三〇年代の日本がどのような国だったのか、日本が朝鮮と中国に何をしたのか、植民地支配下の朝鮮人がどのように生きたのか。事実の検証と資料のための小冊子である。尹奉吉と上海爆弾事件の考察によって現代日本(人)の姿を鏡に映すことができるだろう。

(1)戦争挑発と差別・排外主義
 ここ数年間の日本の対外姿勢を俯瞰してみると、どの政党も、独島(竹島)や釣魚台(尖閣諸島)を「日本固有の領土」と唱和し、大和堆(公海)から朝鮮漁船の排除を支持し、帝国主義的領土拡張主義に竿をさしている。二〇一三年、アルジェリアに進出した日揮の労働者の死を「英霊」のように扱い、日本の対外進出(経済侵略)にその原因を求める気風さえ起きていない。橋下徹(維新の会)は「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていく時に、精神的に高ぶっている集団をどこかで休息させようと思ったら、慰安婦制度が必要なのは誰だって分かる。…国を挙げて暴行、脅迫、拉致をした…証拠はない」などと発言し、戦争と女性差別を容認した。二〇一五年、世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」登録で、端島炭鉱(軍艦島)への朝鮮人強制連行・強制労働の事実を抹殺した。

 二〇一七年に入って、以前以上に日本社会全体が排外主義の渦に巻きこまれているようだ。石川県知事・谷本は「北朝鮮国民を餓死させねばならない」と発言し(六月)、日本海(東海)の大和堆では、海上保安庁の巡視船は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の小型漁船を蹴散らし(八月)、北朝鮮による核実験やミサイル発射事件を奇貨として、米軍B52核戦略爆撃機とともに小松基地配備のF15戦闘機が北爆訓練をおこなった(八月)。小池都知事は関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文を拒否し(九月、三年連続)、政府は「慰安婦」関連資料の「世界記憶遺産」登録を妨害した(十月)。

 二〇一八年には韓国大法院(最高裁)が強制徴用工への賠償を命じる判決を出し、十二月には、大和堆(公海)で韓国艦と海上自衛隊哨戒機との間で軍事的トラブルが発生した。

 二〇一九年、これにたいして日帝は韓国への半導体部品の輸出規制(七月)、輸出管理の優遇措置の除外(八月)などの報復措置を発表した。対する韓国はGSOMIA(日韓軍事情報保護協定)の延長を拒否した。GSOMIAとは米軍の平壌制圧作戦【作戦計画5029】のために、朴槿恵と安倍の間で結ばれた軍事同盟であり、民族統一をめざす朝鮮人民の意志とは相容れない協定である【注:アメリカの圧力で、協定は継続】。

 同年八月最高裁は高校無償化から朝鮮学校の排除を決定し、「表現の不自由展」での少女像展示に脅迫・抗議があいつぎ、これを奇貨として政府は補助金の交付を撤回した。十月には川崎で軍隊慰安婦を対象化した映画『主戦場』の上映が中止され【注:その後上映が再決定】、同月には、大和堆(公海)で水産庁の漁業取締船が朝鮮漁船に体当たりし、沈没させ、戦争挑発と差別・排外主義が大手を振ってのし歩いている。

 今、私たちをとりまく情勢は、一触即発の準戦争情勢にあるのではないか。私たちがとるべき態度は、帝国主義的民族主義と排外主義を拒否し、その実践として、反戦闘争に起たねばならない。

 (2)身近に、学ぶべき歴史がある
 哲学者の高橋哲哉【一九五六年生まれ】さんは「日本には抵抗の文化がない」というベラルーシの作家の発言を肯定的に引用しているが【二〇一六年十二月二二日『東京新聞』】、人生を賭けて、生死を賭けてたたかってきた人々の気持ちを逆なでする一文である。

 ひとつは、抵抗を「文化」と表現し、それをすんなりと受け入れることの違和感である。抵抗は血涙を不可避とする生き方であり、治安維持法下で何十万人もの抵抗者が呻吟していた事実を「文化」などと軽く扱ってほしくないのである。

 ふたつ目は、私たちの周りを見渡せば、身近に「抵抗者」がいたことに気付くだろう。私の叔父は「特要乙号」「思注」に指定され、治安維持法で投獄され、その連れ合いも、私の父も特高に執拗につけ回されていた。東北生まれの義母は、女学生時代に「レポ」の役割を担い、厳しい監視・弾圧から遁れて、見知らぬ地・金沢に流れ着いている【義母の係累には自由民権運動・加波山事件に関与し、「皇居から三里以内接近禁止」処分を受けた人物もいる】。

 以上は卑近な例だが、『一九三二・三三年 石川県特高警察資料』【石川県社会運動史刊行会】には、要警戒人物のリストが三綴あり、二〇〇人近くの名前・住所・職業・人相・言動・取締方法が記載されている。そのなかの多くは逮捕・拘留され、拷問され、転向を強いられ、一九三三年には西村外茂男さんが小松警察署内で獄死し、一九三八年には鶴彬が獄死した。このように、私たちは戦前の抵抗者から学ぶべき歴史を身近に共有しており、「抵抗の事実」を軽々に否定してほしくないのである。

 みっつ目には、一九六七年10・8ベトナム反戦闘争から始まる七〇年代日本のたたかいは、フランス・カルチェラタンや金芝河や全泰壱に触発され、大学や職場から追放されても、逮捕・拘留・有罪判決を恐れず、数万数十万の労働者・学生が立ち上がり、たたかいのなかで倒れ【山﨑博昭さんなど】、長期投獄【星野文昭さんは二〇一九年獄中死】に耐えた人々が多数おり、ヨーロッパや朝鮮のレジスタンスに比べて足元にも及ばないとしても、地にねじ伏せられても、その感性と思想を次世代に渡そうと、現在も苦闘し続けているのである。

 直近の、同世代の「苦闘」を再評価・検証せずに、「抵抗運動」を過去のものとして語ることを果たして、是とすべきなのだろうか。

 よっつ目に、私が尹奉吉にこだわるのは、尹奉吉をはじめとして、日帝の暴虐に虐げられ、倒れた幾多の朝鮮人民への謝罪と、その実践的回答としての政治選択の鏡としてである。政治、情報、経済、軍事、治安体制で武装した「二一世紀の日帝」を倒すために、労働者人民の武装(抵抗)は本質的選択であり、その実践的準備・着手・習熟についてひとことも語らずに、上海爆弾事件と尹奉吉を讃えるだけでよいのだろうか。

 (3)二〇一七年会議を起点に
 二〇一七年十二月の尹奉吉学術会議【資料153】では、ドイツ・ブレーメン州憲法十九条の「人権が公権力により憲法に違反して侵害される場合は、各人の抵抗は権利であり義務である」を根拠にして、尹奉吉による上海爆弾事件の正当性を主張しているが、私はもう一歩、論を進めるべきだと考えている。

 人民の抵抗権はすでに中世から主張されており、イギリスの哲学者ジョン・ロック【一六三二~一七〇四】は「自然権としての革命権(抵抗権)」を確立し、「政府は人為的機関であり、権力(暴力)装置であり、(体制の変更には)暴力的変更=革命(が不可避)」と主張した。その後、アメリカの独立宣言【一七七六年】の「抵抗権(革命権)」、フランス革命【一七八九年】、マルクス『共産党宣言』【一八四八年】、レーニン『国家と革命』【一九一七年】へと受け継がれていったのである。

 『共産党宣言』は、「政治権力とは…一つの階級が他の階級を抑圧するための組織された暴力である。プロレタリアートがブルジョアジーとの闘争において必然的に階級へと結集し、革命によって支配階級となり、支配階級として古い生産関係を暴力的に廃止するときに、プロレタリアートはこのような生産関係と共に階級対立の存立条件と階級そのものの存立条件を廃止し、それによって階級としての自分自身の支配を廃止するのである。」「共産主義者は自分たちの見解と意図を隠すことを軽蔑する。共産主義者は自分たちの目的がこれまでの一切の社会秩序の暴力的転覆によってしか達成され得ないことを公然と宣言する。…プロレタリアはこの革命において鉄鎖以外に失うものは何もない。プロレタリアが獲得すべきは全世界である。万国のプロレタリア、団結せよ!」と締めくくっている。

 八八年前の尹奉吉らによって担われた朝鮮独立運動は、近代社会思想の到達点に立って、みづから武装し、日帝の植民地支配と朝鮮王朝を打倒するたたかいであり、革命権の行使以外の何ものでもなかった。すなわち、労働者階級、被抑圧人民の武装(闘争)は、政権(国家)への抵抗にとどまらず、資本(国家)を打ち倒し、みづからを社会の主人公にしていくための、革命権の行使であり、尹奉吉の上海爆弾事件は、現代の両国人民の、抵抗から革命へと進むべき道を照らしているのではないだろうか。

 学術会議の最後に、「東アジアの平和の根本は帝国主義の排撃、帝国主義支配に起因するすべての負の遺産・負の記憶の清算にある。東アジア諸民族は近代史の原点に立ち帰り、反帝国主義の平和連帯をすすめよう」との呼びかけがあり、万雷の拍手で確認されたのである。

 最後に、日帝植民地下でたたかった金麗水さんの詩を転載して、この一文を閉じよう。
「竹として折れようとも 柳として曲がることなかれ 一日たりとて 願わくは潔き営みを」

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