【24】一九三二年五月十八日「被告人訊問調書」『尹奉吉全集』第二巻
被告人訊問調書 被告人 尹奉吉
右者ニ対スル殺人、殺人未遂被告事件ニ付昭和七年五月四日上海派遣軍軍法会議ニ於テ予審官陸軍法務官原憲治陸軍録事前村仁蔵立会ノ上右被告人ニ対シ訊問ヲ為スコト左ノ如シ
問 位記勲章記章年金恩給等ノ有セサルヤ。
答 有シマセヌ。
問 刑罰ニ処セラレタルコトナキヤ。
答 アリマセヌ。
問 被告人ハ何時頃上海ニ来タルヤ。
答 昭和六年五月八日青島カラ汽船テ上海ニ上陸シマシタ。
問 上陸シテカラ今日迄ノ行動ヲ述ヘヨ。
答 省略
問 夫レテハ被告人カ上海ニ来タ理由ハ何ウカ。
答 私ハ朝鮮ノ独立運動ヲ為スタメ上海ニ独立運動ノ本拠ガアルト聞イテ居リマシタノテ当地ニ来タノテアリマス。
問 無職ノ李カラ二百弗貰ツタ時其金ハ何処カラ出タモノト思ツタカ。
答 私ハ昨年十一月十二月頃上海韓聞カ其ノ外ノ朝鮮人ノ機関紙(ビラノ程度ノモノ)上テアメリカ或ハハワイに居ル朝鮮人仲間カラ上海ノ韓国独立党ニ宛テ金ヲ送ツテ来タト云フ様ナ記事カ出テ居ルノヲ見タ事カアリマスノテ此ノ二百弗ノ金モソンナ種類ノモノタラウト思ヒマシタ。李ニハ金ノ出所等ハ何等尋ネタ事ハアリマセン。
問 上海韓聞ト云フノハ何処テ発行スルノカ。
答 上海仏租界馬浪路普慶里四号ノ韓国僑民団事務所テ発行スルト思ヒマス。同紙ハ上海韓国僑民団ノ機関紙タカラ事務所テ発行スルモノト思フノテス。
問 韓国僑民団トハ如何ナルモノカ。
答 上海仏租界内ニ居住スル朝鮮人ノ取締保護ヲ為スモノテアリマス。
問 韓国僑民団は如何ナル人ニ依テ成立シテ居ルカ。
答 上海仏租界ニ居住スル殆ント全部ノ朝鮮人ヲソニ団員トシテ居リマス。上海ノ仏租界ニ初メテ居住スル者ハ必ス一度民団事務所ニ出頭シテ届出ヲナスコトニナツテ居リマス。仏租界ノ民団ニ属スル者ハ毎年二期ニ税金ヲ徴収サレマス。夫レハ昨年ハ一人ニ付テ二、三弗位ノ額テアリマシタカ、今年カラ一弗以上十五弗以下ト云フ事ニナリマシタ。夫レラ二期ニ納メルノテスカ金カナケレハ納メナクトモ宜イノテス。仏租界内ニハ朝鮮人ハ全部テ二千人位ハ居ルト思ヒマス。
問 被告人ハ昨年上海上陸後民団事務所に行ツタカ。
答 上陸後間モナク五月中旬韓国僑民団事務所ニ赴キ届出ノ手続ヲ取リマシタ。
問 当時ノ民団長ハ誰テアツタカ。
答 金九ト云フ人テアリマシタ。今年は李裕弼カ団長ニ為リマシタ。
問 被告人カ団事務所テ面会シタ役員ハ誰々カ。
答 団長ノ金九ト金東宇ト其処ニ居合セタ李裕弼ニ会ヒマシタ。
問 上海ニ於ケル朝鮮独立運動ノ為メ団体ハ如何ナル名称ナルヤ。
答 夫レハ韓国独立党ト云ヒマス。
問 独立党ノ幹部ノ氏名ハ承知シテ居ルカ。
答 誰カトンナ役目ヲ持ツテ居ルカ知リマセヌ。李春山ハ私ニ上海仏租界ニ居住シテ居ル偉イ朝鮮人ハ皆独立党員タト話シテ聞カセマシタ。
問 被告人カ偉イト思フ人ハ誰レカ。
答 安昌浩、金東宇、金九、李裕弼、李東寧、趙素昴、李春山等テアリマス。
問 韓国独立党ノ目的、党ノ規則、党ノ組織等ハ如何。
答 党ノ目的ハ名称ノ示ス如ク朝鮮ノ独立テアリマス。党ノ規則ハ党ノ総会ヲ開イタラ、ソノ後テ詳シク教ヘルカラト云ツテ、其ノ後総会ハ開カレマセヌノテ党ノ規則ハ全然知リマセヌ。党ノ細胞モ何ウ為ツテ居ルカ知リマセヌ。
問 被告人ハ何ウシテ朝鮮ノ独立運動ヲシヤウト云フ気ニ為ツタカ。
答 初メ十七、八歳ノ時、新聞ヤ書物等ヲ見テ、朝鮮ニ日本人カ来テ朝鮮ヲ治メルノハ何故タラウト云フ様ナ考ヘヲ起シ、夫レカラ自分ノ国ハ自分カ治メルノカ宜イト思フ様ニナリマシタ。日本ノ朝鮮統治カ特ニ悪イト云フ訳テハアリマセヌカ、他人カライクラ可愛カラレテモ自分ノ家カ宜イト思フト同シ様ニ、他国カラ治メラレテ幸福ナ生活カ出来テモ、ヤハリ自分ノ国ハ自分達テ治メ度イノカ人情テス。朝鮮ニハ朝鮮固有ノ言葉ヤ文字ヤ風俗習慣カ有ルノニ、何故日本ニ服従セネハナラヌカ。世界ノ文明カ進ンタ今日、他国ニ合併セラレテ居ルノハ、朝鮮人トシテ恥シイコトタト云フ考ヘヲ持ツ様ニ為リマシタ。新聞ヲ見ルト、上海ニ行ツテ自分モ韓国独立ノ為、働イテ見タイト云フ気ニ為リ、上海ニ出テキタ次第テアリマス。
問 然ラハ、被告人個人トシテハ如何ニスレハ朝鮮ノ独立カ出来ルト思フカ。
答 現在テハ朝鮮ハ実力カ無イカラ、積極的ニ日本ニ反抗シテ独立スルコトハ不可能ト思イマス。世界ニ大キナ戦争テモ起リ、強国カ疲弊スレハ其ノ時ニ各国民カ独立カ出来ルト思イマス。例ヘハ欧州大戦後セルビヤ、ポーランドノ各国カ大国カラ解放サレタ様ニキツト朝鮮モ独立カ出来ルタラウト考ヘテ居リマシタ。
問 被告人ハ世界ニ大戦争ヲ生セシメル様ナ方法ヲ講シタノカ。
答 夫レハ私ノ独リテ考ヘテ居ルコトテアリマス。実際ニ戦争ヲ起ス様ナ運動ハ私共ノ様ナ無力ナ者ニハ出来マセヌ。私ハ上海ニ来ル迄ハ上海ノ独立運動ノ機関ニハ、軍隊ヲ教育スル制度カ設ケラレテ居ルト思ツテ、若シ軍隊組織カ在レハ軍隊ニ入ル考ヘテ来タノテアリマス。然シナカラ独立党ニハ其ノ様ナ組織ハ在リマセンテシタ。
問 世界ノ大戦争ノ始ルノカ朝鮮独立ノ最モ確実ナ方法タト思ヒナカラ大戦争ヲ誘発スル運動ヲナスコトカ出来ナケレハ独立運動家トシテ役ニ立タヌテハナイカ。
答 現在ハ私ハ無力テ戦争ヲ起サセル様ナ運動ハ出来マセヌカ、党ニ入ツテ協力シテ次第ニ運動ヲ始メル心算テアリマシタ。現在ノ強国モ木葉ト同シク、自然ニ凋落スル時カアルト思イマス。吾々独立運動者ハ木ニ肥料ヲ与ヘタリ、水ヲ注イタリシテ、自然ノ発育ニ助力スルト同シク、国家盛衰ノ循環ヲ早メルノカ役目テス。
問 今回被告人カ行ツタ様ナコトヲシテモ独立運動ト云フ意味カラ云ヘハ甚タ効果ノ少イモノ﹅様ニ思フカ、如何ニ考フルカ。
答 勿論一人ヤ二人ノ上級ノ軍人ヲ殺シテ独立カ容易ニ行ハレルトハ思ヒマセヌ。今回ノ爆弾投擲ハ独立ニ直接効果ハ有リマセヌカ、只朝鮮ノ覚醒ヲ促シ、更ニ世界ノ人々ニ朝鮮ノ存在ヲ明瞭ニ知ラセル為テアリマス。今ノ侭テハ地図ヲ見テモ朝鮮ハ日本ト同シ色ニ彩ラレテ世界ノ人ハ朝鮮ノ存在ヲ認メテ呉レマセヌノテ、此際朝鮮トイウ観念ヲ世界ノ人々ノ頭ニ刻ミ付ケテ置クノモ独立運動ニ役ニ立タヌ事モナイト思ヒマス。今回ノ行動ハ同シ黄色人テアル日本カ勢力カ有ルノニ任セ、朝鮮ヲ侵略シ、更ニ支那迄侵略セントスルノカ余リ見憎イト思ヒ、夫レニ憤慨シタ結果、侵略ノ先鋒タル陸軍ノ代表者ヲ殺害セントスルニ至ツタノテアリマス。只今言ツタコトハ私カ自分ノ行ツタ行動ニツイテ理由ヲ付ケタノテアリマシテ、李春山カ其様ナコトヲ云ツタノテアリマス。李春山カ二十七日ノ夜訪ネテ来テ独立運動ノ為ニ真実ニ働キ度イナラハ、白川大将、植田中将ヲ殺シタラト云ハレ、初メハ夫レ等ノ人ヲ殺スノハツマラナイト思ヒマシタカ、先刻申上ケタ様ナ考ヘヲ生シ、決行スル気ニ為リマシタ。
問 李春山ハ如何ナル人相ノ人カ。
答 年齢ハ三十五歳位。頭髪ハ少シ伸ハシ、油ハ付ケスニ分ケテ居リマス。髭ハ有リマセヌ。体ノ肉付ハ普通テ、一寸見タ所恐イ顔ヲシテ居リマス。特徴ト云フ程ノモノハ有リマセン。
問 今迄被告人カ会ツタト云フ以外ニ顔ヲ見タ人ハ居ナイカ。
答 私カ霞飛路一〇一四●内二十七号ニ住ンテ居タ頃、同●内三十号ニ興士団ト云フ朝鮮人ノ修養団事務所カ有リ、其ノ団長ノ安昌浩ト云フ人ニハ一、二度会フタ事カアリマス。
問 被告人ハ本年三月下旬カラ虹口マーケットテ粉類ノ店ヲ営ンタノハ如何ナル訳カ。
答 本年三月初メニ、工場ヲ解雇サレタノテ、暫クノ間ハ貯ヘノ金テ徒食シテ居リマシタカ、生活費ヲ得ル為ニ虹口テ商売ヲ始メタノテス。
問 被告人ハ是迄上海ニ上陸シテ、仏租界霞飛路和合坊ノ安明錤方ヘ車夫ニ案内シテ貰ツタト云ツテ居ルカ、果シテ左様カ。
答 実ハ、今迄申上ケマシタコトハ大分事実ト異ナツタ点カアリマス。私ハ上陸シテ直チニ人力車夫ニ韓国僑民団ヘ行ツテ呉レト頼ミ、人力車ニ乗ツテ僑民事務所ヘ参リマシタ。
問 事務所ヘ行ツテ何ンナコトヲ言ツタカ。
答 民団事務所ニハ、当時ノ団長金九及幹事ノ金東宇カ居リマシテ、私カ挨拶シマスト、二人共自分ハ金九、金東宇ト云フ者タト云ツテ挨拶ヲ交シマシタ。夫レカラ私ニ向ツテ上海ニ来タ訳ヲ尋ネマシタノテ、貴殿方ト一緒ニ働ク為ニ来タト答ヘマシタ。スルト笑ヒナカラ、夫レハ朝鮮テ何カ独立運動ノ為ニ働イタコトカアルカト尋ネマシタカラ、私ハ今迄サウ云フ考ヘハ持ツテ居ルカ、実際ハ何モシタ事ハ無イト答ヘマシタ。其処ヘ安明錤カヤツテ来テ挨拶ヲシテ、私ニ旅館等ハ定メタカト聴キマシタカラ、自分ハ言葉モヨク判ラナイカラ、未タ旅館ハ定メテ居ナイ。朝飯モ未タ食ヘナイト云ヒマスト、夫レハ今良イ所カアルカラ、学生カ二人一緒ニ居ルカ、二人テハ間代カ高イト云ツテ居ルカラ、御前ト三人テ居ル様ニシタラ宜カラウト云ツテ、案内シテ呉レタノカ霞飛路和合坊内安明錤ノ自宅テアリマシタ。
問 被告人ハ白川、植田両将軍ヲ殺害スル様ニ命シ、爆弾ヤ金ヲ与ヘタノハ李春山タト述ヘテ居ルカ、夫レモ嘘テハナイカ。
答 李春山カラ爆弾ヤ金ヲ貰ツテ、白川大将等ヲ殺害スル様ニ命セラレタト申述ヘタノハ嘘テアリマシタ。私カ李春山ト云ツタノハ実ハ金九テアリマシテ、憲兵隊テ取調ヘタ時ニ、李春山ト咄嗟ノ間ニ口走ツタノテ、其ノ後李春山ト云ヒ通シテ来マシタ。李春山ト言フノハ李裕弼ノ号テアリマス。
問 然ラハ被告人ハ金九ト云フ事ハ如何ナル理由テ判ルカ。
答 私カ昨年上海ニ上陸直後韓国僑民団ニ出頭シタ時、俺ハ団長ノ金九タト名乗ツタ男ト、私ニ爆弾や金ヲ与ヘテ白川、植田ヲ殺ス様ニ命シタ男トハ同一人ニシテ、尚私カ寄寓シテ居マシタ鬃品公司(当時ハ鬃品公司ナル名称ハ無ク、朴震ノ個人経営トス即チ鬃鬃品公司ノ前身ナリ)。昨年六月頃カラ九月頃迄毎週一回位ヤツテ来テ、従業員ト種々時事問題等ヲ話シタ事カアリマスノテ、金九ノ顔ハ良ク見知ツテ居リマス。
問 然ラハ金九ノ人相ハ如何。
答 金九ハ身長五尺八、九寸、頭髪ハ角刈、鬚ヲ立テ、頬骨張ツテ居リ、肉付ハ良好テ、特ニ一見シテ金九タト判ルノハ顔面一体天然痘痕カアルコトテス。年齢ハ五十五、六歳ト思ヒマス。
問 李奉昌ノ事ニ就テ如何ナル話ヲシタカ。
答 金九カ工場ニ来タノテ、私達ハ同人ニ新聞ヲ見ルト李奉昌ハ上海カラ日本ヘ行ツタト書イテアルカ、此ノ工場ノ従業員ハ誰モ李奉昌ヲ見タコトカナイカ、本当ニ上海カラ行ツタノカト尋ネルト、上海カラ行ツタノタト云ヒマスノテ、何処カラ遣ツタノカト聞クト、独立党カラ遣ツタテヤウト云ヒマシタ。昭和天皇陛下ハ死ンタカト尋ネルト、ヨク知ラナイト答ヘマシタ。当時従業中タツタノテ長ク話ス暇カ無カツタノテ其程度テ金九ハ帰リマシタ。
問 被告人ハ如何ニシテ金九ヨリ白川大将ヲ殺害スル様ニ命セラレタカ。其ノ経緯ヲ述ヘヨ。
答 私ハ本年三月鬃品公司ヲ解雇セラレ、先日述タ様ニ粉類ノ商売ヲ始メマシタカ、虹口ニ毎日行ツテ仏租界ニ居ル朝鮮人ノ為ニ種々ノ物ヲ虹口カラ買ツテ来テヤル様ニシテ居リマシタ。四月初旬天文台路(労神父路)ノ五豊路ヘ買出シノ注文ヲ取リニ行キ、其ノ帰途附近ノ路上テ偶然金九ト遭遇シタノテ、私ハ挨拶ヲシマシタ。金九ハ私ニ工場ヲ罷メテカラ何ヲヤツテ居ルカト尋ネマシタノテ、虹口テ商売ヲヤツテ居ルト申シマシタ処虹口ニ居ルカト尋ネマスノテ、店タケ虹口ニ出シテ、自分ハ仏租界ノ馬浪路ノ普慶里ノ桂春建ノ家ニ居ルト答ヘマシタ。スルト金九ハ虹口ノ方ヘ行ク様ニナツテ気分ハ何ウカト云ヒマスノテ、私ハ虹口テ商売ハヤツテヰテモ、元来独立運動ノ目的テ上海ニ来タノタカラ、虹口ニ行ツテモ、自分ノ気持ハ少シモ変ラヌト申シマスト、夫レテハオ前ト話シタイコトカアルカラ近イ内ニ通知スルカラ其時ハ直ク来テ呉レト云ツテ其場ハ別レマシタ。
問 金九カラハ其後何日頃通知カアツタカ。
答 四月中旬頃前述ノ桂春建ノ家ニ居リマスト夜七時半頃誰レカ呼ンテ居ル人カアルト云ツテ桂春建ノ知人ラシイ人カ知ラセニ来マシタノテ、道路ニ出テ見ルト金九カ其処ヘ待ツテ居マシタ。金九ニ伴ハレテ西門路ト馬浪路ノ角ノ四海革館ニ行キマシタ。其処テ金九ハ私ニ向ヒ、本当ニ御前ハ独立運動ノ為ニ働ク気カアルカト云マスノテ、私ハ同人ニ貴殿ノ教ヘル様ニシマスト云ヒマシタ。私ノ答ヲ待ツテ、金九ハ実ハ独立党内ニ暗殺団ト云フモノカアリ、暗殺団ハ偉イ人ヲ暗殺スルノカ目的タ。暗殺団ニ入ルニハ写真カ三枚要ルカラ此ノ次ニ写真ヲ撮リマセウト云ツテ別レマシタ。
問 二十六日四海茶館テ会ツタ時ノ状況ハ。
答 約束通リ午前九時頃四海茶館ニ行キマスト、既ニ金九カ来テ待ツテ居リマシタカラ、二人テ其ノ茶館ヲ出テ、康悌路ト貝勒路ノ交差点カラ更ニ貝勒路ヲ労神父路ト反対ノ方向ニ進ミ、次ノ康悌路ト併行シタ道路トノ交差点カラ左ニ折レ、約二、三十間行ツタ右側ノ家(所在地番等不明)ニ金九ニ連レラレテ這リマシタ。其家ニ行キマシタ処、既ニ撮影ノ準備カ出来テ居リマシタノテ、金九ハ持ツテ来タ赤鞄ノ中カラ韓国々旗ト爆弾一個、拳銃一挺及宣誓文ヲ書イタ西洋紙ヲ取出シ、私ニ宣誓文ノ末尾ニ署名セヨト命シマシタ。私ハ宣誓文ヲ一回読ンテ、夫レカラ其ノ紙ニ署名致シマシタ。署名カ済ムト、私カ洋服ヲ着テ、一人テ何モ持タスニ立ツテ居ル処ヲ一枚写真ニ撮リ、夫レカラ私ノ胸ニ先刻認メタ宣誓文ヲ針テ張リ付ケ、左手ニ爆弾ヲ握リ、右手ニ拳銃ヲ持ツテ、韓国々旗ヲ背景トシテ、立テ居ル処ヲ一枚写シ、更ニ金九ノ後ロニ私カ立ツテ居ル処ヲ一枚写シマシタ。写真撮影カ終ツテカラ、金九ハ私ニ明日貝勒路ノ東方公寓ニ宿ヲ定メヨト命シ、尚白川、植田ノ写真及風呂敷ヲ一枚買ツテ置ク様ニト云ヒマシタ。其日ハソレテ別レマシタ。私カ爆弾ヲ持ツテ写真ニ写ル際、此ノ爆弾ハ李春昌【注:李奉昌か】カ持ツテ行ツタ爆弾ト同シ型タト云ツテ居リマシタ。
問 金九カラ爆弾ノ説明ヲサレタ時、金九カ爆弾ヲ何処カラ持ツテ来ルノカ尋ネナカツタカ。
答 暗殺団ハ秘密ニ行動スルモノテアリマスカラ云ハレタコトヲ実行スル丈テ、●●爆弾ノ出所ナンカ聴イテモツマラナイト思ツテ、ソンナコトハ少シモ尋ネマセンテシタ。
問 金九カラ渡サレタ爆弾ノ効力ニ付テ、説明ハ聞カナカツタカ。
答 爆弾ノ効力ニ付テハ何モ説明ハ聞キマセンテシタ。然シ李奉昌カ持ツテ行ツタト云フ爆弾ヨリモ大キナ効力アルモノトハ想像シテ居リマシタ。
問 被告人ハ李奉昌カ爆弾ヲ持ツテ、韓国旗ヲ後ロニシテ、写ツテ居ル写真ヲ見タコトハナイカ。
答 本年二月下旬友人ノ兪錤軾ノ家ニ用事カアツテ行ツタ時、其ノ家テ同人カラ李奉昌カ爆弾ト拳銃ヲ手ニ持チ、宣誓書ヲ胸ニ掲ケ韓国旗ヲ背景ニシテ写ツテ居ル写真ヲ見セテ貰ヒマシタ。
問 金錤軾トハ如何ナル理由テ識合ニナツタカ。
答 鬃品公司テ私ト一緒ニ解雇サレタ徐相錫カ其ノ友人ノ安錦生カ朝鮮ニ皈【帰】ヘルノニ支那語カ判ラナイノテ乗船切符ヲ買ヒニ行ツテ、其ノ途中テ支那ノ便衣隊ニ日本ノ便衣隊タト疑ハレ、逮捕サレマシタ。夫レテ私ハ夫レヲ取戻ス為民国ニ金東宇ヲ訪ネマシタトコロ、同人ハ自宅ニ居ルトノコトテ、自宅(薩坡賽路)ニ行キマシタ。当時金東宇ハ兪錤軾と同居シテ居リマシタノテ、此ノ関係テ私ト識合ニナリマシタ。
問 被告人ノ外ニ暗殺団カラ刺客ヲ他ノ方面ニ出シテアルコトヲ金九カラ聞カナカツタカ。
答 日ハヨク覚ヘマセヌカ四月二十四日カラ二十八日頃迄ノ間ニ金九ト会ツタ時、朝鮮ニ出シタ金錤軾ヲ刺客トシテ朝鮮ニ派遣シタコトモ、同人カ逮捕サレタカラ私ニ話シタモノト思ヒマス。捕ラナイモノノコトハ絶対ニ話シマセヌ。従ツテ何方面ニ誰ヲ派遣シテ居ルカ全然判リマセヌ。
問 被告人ハ兪鎮軾トハ何回位会ツタコトカアルカ。
答 全部テ十回位会ツタト思ヒマス。最初ハ昭和六年十二月頃霞飛路ノ一〇一四●内二七号ニ私カ居リマシタ頃、同シ建物ノ中ニ在リマシタ興士団ヘ兪鎮軾カ来テ其ノ時私ノ部屋ヲ訪レ、私ノ部屋ニ同居ヲ求メマシタ。当時私ハ高栄善ト一緒ニ居リマシタカラ、同居ハ出来ナイト断リマシタ。夫レカラ本年三月ノ三、四日頃金東宇ニ用カアツテ同人宅ヲ訪レタ時ニモ会ヒマシタ。其ノ後ソノ居宅、路上等テ会ツタノテアリマス。
問 兪鎮軾トノ間ニハ如何ナル話ヲ交シタカ。
答 兪鎮軾ハ私カ三月中旬頃同人宅ナル仏租界藤披賽路一八八号ニ遊ヒニ行キマシタ時、互ニ朝鮮独立運動ヲシタイト云フ様ナコトヲ話シ、李奉昌ノ爆弾ヲ持ツテ写シタ写真ヤ金九ノ履歴書ヲ見セタ後、兪ハ私ニ向ツテ自分ハ此度暗殺スル為ニ朝鮮ニ皈ル様ニナツタ。就テハ自分カ朝鮮ヘ着イテ用カアツタラ呼フ様ニスルカラ来ナサイ。其ノ時ニハ準備ヲスル人ニモ通知ヲスルカラト申シマシタ。其他兪ト会ツタ時ニハ朝鮮ノ独立ノ為ニハ世界大戦争カ起ツテ、強国カ疲弊スレハ独立ノ目的カ達セラルヽ様ニナロウト云フ様ナ意見ヲ述ヘタコトモアリマス。【注:兪錤軾、金錤軾、兪鎮軾が混同か?】
問 被告人ハ金九カラ独立党ニ暗殺団ノ組織カアルト云フコトヲ聞カサレタト云フカ、愛国団ト云フコトハ聞カナカツタカ。
答 愛国団ト暗殺団トハ同一ノモノタト思フ。愛国団ノ団員カ暗殺ヲ実行スルノテアリマスカラ、愛国即チ暗殺団ト考ヘテ宜イノテアリマス。金九ハ私ニ愛国団ト云ツタト思ヒマス。
問 愛国団ノ組織規則等ハ承知シテ居ルカ。
答 何レモ存シマセヌ。唯金九ハ自分テ愛国団ノ団長タト称シテ居リマシタカラ、金九ヲ長トスル暗殺団タロウト思ヒマス。
問 愛国団員トナルニハ如何ナル手続ヲ要スルカ。
答 団員トナル手続ハ良ク判リマセンカ、私ハ金九カラ団員ニスルカラ、写真ヲ撮ル準備ヲスルカラト云ハレ、其後天昌里【元昌里?】テ爆弾ヲ持ツテ、姿ヤ其他三種ノ写真ヲ撮リ、宣誓書ヲ差出シ、金九カラ爆弾ヲ渡サレ、白川大将等ヲ殺害セヨト命セラレマシタノテ、愛国団員ニナツテ居ルモノト思ヒマス。明確ニ何月何日団員ニナツタト云フコトハ判リマセンカ、少クトモ四月二十九日ニハ愛国団員ノ一員ニ加ヘラレテ居ツタモノト思ヒマス。
問 被告人カ写真ニ写ツタ時、手ニ持ツタ爆弾ハ如何ナル恰好ノモノテアツタカ。
答 大人ノ手拳ヨリ稍小サイ卵形ノ縦横ニ筋ノ入ツテ居ル黄色ク塗ツタ鉄製ノモノテアリマシタ。
問 被告人ハ四月二十九日華龍路ノ元昌里一二号ノ家テ金九カラ爆弾ノ交付ヲ受ケ、弁当箱型ノ爆弾ヲ風呂敷包ニシテ、穴ヲ開ケタ様テアルカ、穴ヲ開ケタ時機及場所ハ如何。
答 風呂敷ノ穴ヲ開ケタノハ二十九日朝ノ法大汽車公司カラ自動車ニ乗ツテ、新公園ニ行ク途中自動車ノ中テ指テ風呂敷ヲ破ツテ穴ヲ開ケタノテアリマス。穴ヲ開ケタノハ爆弾ヲ風呂敷ニ包ンタ侭投ケル為、爆弾ノ発火用ノ紐ヲ引ク為テアリマシタ。
問 二十九日天長節祝賀会場ノ式壇ニ二個共投スル心組テ二個ノ爆弾ヲ持ツテ行キ乍ラ一個丈投シタ理由ハ。
答 公園ニ行ク迄ハ二個共投スル心算テアリマシタカ、状況ヲ見マスト、到底二個投ケル余裕ハナイト思マシタノテ、水筒型ノ爆弾カ紐カ付テ居テ、投ケ易イト思ツテ、弁当箱ノモノハ地上ニ放置シテ、水筒型ヲ投ケタノテアリマス。
問 被告人ノ家族関係ハ。
答 父(戸主)尹●【土+黄】、母金元祥、妻裵順、長男尹模淳、次男尹淡、弟尹永錫、同尹英儀、妹姙儀テアリマス。昭和五年三月以後ノコトハ判リマセヌ。次男尹淡モ私カ出郷後生レタノテアリマスカラ、夫レハ通知アリマシタカラ知ツテ居リマス。
問 被告人ノ実家ノ職業ハ。
答 農業テアリマシテ、水田約二〇斗落、畑約四斗落、其ノ他山林約一万坪アリマシテ、生活ハ豊テハアリマセンカ、食ヘテ行クニハ差支ヘアリマセン。【注:一斗落とは種子一斗をまく広さの耕地を指し、水田一斗落は一五〇坪から三〇〇坪に相当した。】
問 被告人ノ宗教ハ。
答 特ニ宗教ト云フ程ノモノハアリマセン。大体ハ仏教ト思ヒマス。
問 独立運動ヲ起スニ至ツタ原因ハ。
答 今迄ニ述ヘタ以外特ニ申述ル動機ト云フモノハアリマセン。
問 被告人ハ如何ナル種類ノ書籍ヲ好ンテ読ンタカ。
答 郷里ノ書堂ニ千字文、童蒙先習、通●【資治通鑑?】、大学、中庸、論語、孟子等テアリマス。偉イ人ノ伝記等モ読ミタイノテアリマスカ、朝鮮文学ノモノハアリマセヌカラ、読ンタコトハアリマセヌ。
問 朝鮮ノ郷里テ書堂又ハ普通学校ニ通ツテ居ル内ニ独立ニ就テ特ニ精神的感化ヲ受ケタ記憶ハナイカ。
答 其ノ頃ハ特ニ独立運動ト云フコトハ考ヘマセンテシタ。十八、九才頃ニナツテ朝鮮ヲ日本カ来テ治メルノヲ不思議ニ思フ様ニナツタノカ独立運動ノ萌テス。
問 郷里テハ如何ナルコトヲシテ居タカ。
答 農業ヲ営ミ、傍ら郷里ノ子弟ヲ誘ツテ月進会ヲ組織シ、修養親睦ヲ図リ、夜学トシテ諺丈ヲ教ヘテ居リマシタ。
問 然ラハ被告人ノ今回ノ犯行ニ至ツタ原因動機及犯行ノ事実ハ被告人ノ此レ迄申述ヘタコト並ニ証人等ノ証言ヲ総合スレハ、次ノ様ニナルカ。
被告人ハ予テ朝鮮カ日本ノ官憲ニ依リテ統治セラルヽヲ不快ニ思ヒ居タル処、新聞紙等ニ依リ上海ニ韓国独立党アルコトヲ知ルヤ、同地ニ赴キテ其ノ党員トナリ、独立運動ニ奔走セント欲シ、昭和五年三月郷里ヲ出テ青島ニ経テ、同六年五月初旬上海ニ来リ直ニ同地仏租界韓郷民団事務所ニ至リ、団長金九ニ面会シ、独立運動ノ為メ来滬シタル旨ヲ告ケ、爾来同租界内ニ居住シ製帽工場ノ職工トシテ労働ノ傍ラ、金九ト屢【しばしば】朝鮮人ニ関スル時事問題、世界ノ現状等ニ関シ意見ヲ交シ来タルカ、昭和七年四月初旬(六、七日頃)同租界天文台路五豊里附近ノ路上ニテ、偶然金九ト遭遇シ、金九ハ被告人ニ対シ当時被告人カ製帽工場ヲ解雇セラレ、共同租界虹口マーケットニ粉類商ヲ始メタルヲ知リ、オ前ハ独立運動ヲ断念セシニ非ラスヤトノ趣旨ノ問ヲ受ケタルヲ以テ、被告人ハ来滬ノ目的タル同運動ヲ抛棄スルカ如キコトナキ旨ヲ告ケタル処、金九ヨリ然ラハオ前ニ特ニ話シ度事アリ、近日中ニ迎ヒノ者ヲ遣スニ付、其ノ時ハ直ニ来ラレ度シト云ハレ、被告人モ之ヲ承諾シテ別レタルカ、同月中旬頃午後八時頃被告人ノ住所仏租界馬浪路普慶里二二号桂春建方ニ、金東守カ来リ表ニテ金九カ待チ居ル旨ヲ告ケラレ、表ニ出ツルヤ金九ハ被告人ヲ伴ヒテ同路内四海茶館ニ赴キ、同所ニテ被告人ニ先日ノ言ノ如ク真ニ独立運動ヲ為ス意志アリヤト問ヒ、被告人ハ同運動ニ携リ度旨答フルヤ、金九ハ然ラハオ前ヲ愛国団員ト為スヘシト云ヒ、愛国団員トナルニハ写真ヲ撮ルノ要アルヲ以テ其ノ準備ヲ為スヘシト告ケ、更ニ同月二十日頃前同時刻頃桂春建ノ宅ニ氏名不詳ノ男来リ、金九ヨリ命セラレタル旨ヲ告ケテ、被告人ヲ同租界西門路所在ノ某朝鮮人宅二階ノ一室ニ案内シ、同室ニ於テ被告人ハ金九ト会シタルカ、金九ハ新聞紙ニ依レハ来ル二十九日天長節ニハ新公園ニテ観兵式カアルトノコトナルカ、オ前ハ何カヤラナイカト問ハレ、被告人ハ何事テモヤルト之ニ答ヘタル処、金九ハ此ノ前迄ハ人カアツタカ、今ハ人カ無イカラ、何カヤラセヤウト云ヒツヽ別室ヨリ新聞紙包ノ弁当箱型及水筒型ノ爆弾各一個ヲ持チ来リ、被告人ニ之ヲ示シ、オ前カ此度使ウノハ此ノ爆弾タト云ヒ、尚今後モ詳細研究シヨウト語リタリ。
更ニ同月二十四日前同時刻頃桂春建宅ニ前記氏名不詳ノ男、金九ノ使トシテ来リ、被告人ヲ伴ヒ馬浪路ト望志路ノ交差点四海茶館ノ向側右角建物二階ノ某茶館(支那人経営)ニ至リ、同所ニテ写真ヲ撮ル為服装ヲ整ヘ、尚余分アラハ遊興費ニ当テヨト支那紙幣九十弗(五円紙幣十八枚)ヲ被告人ニ与ヘタル上、二十九日ニハ白川、植田カ行ク様ニ新聞ニ出テ居ルニ依リ、之等ノ人ヲ殺害スヘシト命シタルヲ以テ、被告人ハ茲ニ白川、植田両将軍ヲ殺害スヘク意ヲ決シ、金九ト二十六日四海茶館ニテ会フ約束ヲ為シテ別レ、同二十六日午前九時頃被告人ハ四海茶館ニ至リ、金九ト会ヒ、同所ヲ立出テ、同租界貝勒路ト康悌路ノ交差点ヨリ除家滙寄リノ天祥里二〇号朝鮮人某方ニ至リ、写真ヲ撮ラントセシカ、天候悪シク之ヲ翌日ニ延期シ、同家ニ於テ金九ヨリ示サレタル宣誓書ニ署名ヲ為シ、金九ヨリ白川、植田ノ写真及風呂敷一枚ヲ買求メ置クコト及明日東方公寓ニ転宿スヘク命セラレ、同人ト別レタリ。
翌二十七日午前九時頃前記天祥里朝鮮人方ニ到リ、先ツ韓国旗ヲ背ニシ、被告人ノミノ写真ヲ次ニ金九カ小型トランクヨリ取出シタル爆弾ヲ左手ニ、拳銃ヲ右手ニ持チ、宣誓書ヲ胸ニ掲ケ、韓国旗ヲ背ニシタル被告人ノ写真、最後ニ被告人ハ立チ金九其ノ前方ニ坐スル写真ヲ各二回宛撮影シ、金九ト別レ、被告人ハ夫レヨリ呉淞路日本人某雑貨店ニ到リメリンス風呂敷一枚ヲ買ヒ求メ、夕刻東方公寓ニ宿泊シタルカ、午後八時頃同公寓ニ金九訪ネ来リ、被告人ニ対シ爆弾ノ使用法ヲ説明シタル後、明日仏租界大世界隣中国クリスト青年会ニテ中食ヲ共ニスヘシト語リ、金九ハ同家ヲ辞去シ、同月二十八日被告人ハ約束ノ如ク正午頃中国クリスト青年会ニ赴キ、金九ト会食シタルカ、其ノ際金九ヨリ本日新公園ニテ観兵式ノ練習アルヲ以テ、同所ニ至リ現場ヲ見テ置ク様ニト命セラレタルヲ以テ、被告人ハ午後二時頃同公園ニ到リ、右練習ヲ見物シ、更ニ祝賀会場ノ参列者ノ着席場所等確メタル上、東方公寓ニ皈リタル処、午後八時頃金九訪レ、被告人ト犯人【犯行?】ノ場所ヲ協議シタル後一寸外出スヘシトテ被告人ヲ仏租界萃龍路元昌里一三号某朝鮮人宅ニ連レ行キ、同家二階一室ニテ明日使用スヘキ爆弾ヲ取出シ、其ノ口蓋ヲ取リ除キ、発火用ノ糸ヲ少シ引キ出シ、明日ノ投擲ヲ便ナラシメタル上、明日ハ当家ニ来リ、朝食ヲ為スヘキ事ヲ勧メ、被告人モ之ヲ諾シテ、前記公寓ニ皈リタリ。
翌二十九日午前六時三十分頃被告人ハ右元昌里ノ朝鮮人宅ニ到リ、金九及同家人と三人ニテ朝食ヲ喫シタル上、金九ハ被告人カ予テ買ヒ求メタル風呂敷ニ弁当型爆弾ヲ包ミ、水筒型爆弾ト共ニ之ヲ被告人ニ交付シ、被告人ハ右二個ノ爆弾ヲ携ヘテ、金九ト共ニ同家ヲ立出テ、途中金九ヨリ約三、四弗ノ銀貨ヲ受ケ取リ、金九ト別レ附近ノ法大汽車公司ニテ自動車ヲ雇ヒ、之ニ乗リテ新公園ニ到リ、観兵式ヲ見タル上、祝賀式場ニ到リ、同場内ニ設ケラレタル式壇ノ左後方約二間半ノ一般観覧者隻ニ在リテ、機会ヲ待チ居タリ。
軈テ式壇上ニ白川大将外六名カ登リ、祝賀式カ始マリ、此第ニ【次第ニ】式カ進行シ、午前十一時四十分頃国歌合唱モ終リニ近キ全会衆厳粛ノ咸ニ打タレ他ニ注意ヲ向ケルモノ少キヲ見ルヤ●機【好機?】到レリトナシ、被告人ハ手ニ持テル弁当型爆弾ヲ地上ニ差置キ、肩ニ掛ケアリシ水筒型爆弾ヲ取外シ、発火用ノ紐ヲ引キタル上、式壇目掛ケテ駆ケ出シ、壇ヨリ約一間ノ左後方ニ至ルヤ、右爆弾ヲ壇上ニ投ケ上ケ、因テ其ノ爆発ノ為壇上ニアリシ白川大将、植田中将、重光公使、村井総領事、河端居留民行政委員会長、同友野書記長、野村中将ニ丈レ夫レ【夫レ夫レ?】別紙診断書並ニ鑑定書記載ノ爆傷ヲ負ハシメ、河端委員会会長ハ爆創ノ為同月三十日午前三時三十分、遂ニ死亡スルニ至レリ。
答 其ノ通リノ事実ヲ認メマス。
問 他ニ何カ申立テルコトハナイカ。
答 何モ申立テルコトハアリマセン。
被告人 尹奉吉
右読聞ケタル処、相違ナキ旨申立テ、署名拇印シタリ。
昭和七年五月十八日
上海派遣軍軍法会議 陸軍録事 前村仁蔵
予審官陸軍法務官 原憲治
【注:誤字訂正、句読点付与、解読不明文字は●】
【25】一九三二年五月二五日 尹奉吉最終意見陳述(『評伝 尹奉吉』)原資料未確認
あなたたちは私を裁く資格がない。また、何の権限と根拠で私に極刑を求めるのか分からない。私は大韓の戦士として、日本軍に対し、独立戦争を展開したのだ。今あなたたちが私の命を奪おうとしても、私の独立精神は死ぬことはないだろう。私の殉節の種は遠からず芽生え、花を咲かせるだろうし、私はそうした歴史の流れを固く信じて、日本帝国主義が消滅する日まで引き続き地下で戦いつづけるだろう!