『戦場から女優へ』(サヘル・ローズ 2009年発行)
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サヘル・ローズとは
サヘル・ローズは1985年、イラン西部、クルディスタン(クルド人が居住する地理的領域)にある小さな町に生まれ、イラン・イラク戦争(1980~)で生家が空爆(1989)に遭い、両親と10人いた兄姉のすべてを亡くしました。救助活動をおこなっていたフローラ・ジャスミンによって倒壊した家の中から救助され、孤児院で暮らすことになりました。
その後、フローラ・ジャスミンが、孤児院に収容されたサヘルを引き取りましたが、実家から、サヘルを養育することに猛反対され、やがて経済援助を打ち切られてしまいました。8歳のサヘルとフローラはフィアンセのイラン人男性を頼って日本に移住しました。
しかしその男性とフローラが別れ、フローラに職が無かったため赤貧の生活を余儀なくされ、サヘルが通っていた小学校の給食しか食べるものがなかった時期に、給食のパート労働者と親しくなり生活のサポートを受けました。校長による補習授業で日本語を学びましたが、小学校、中学校時代には、「イラン人なるが故」のいじめを受けています。
大学時代にはITを専攻し、セキュリティのプログラミングなどを学び、専門学校時代、俳優の松田洋治に演技の指導を受けていました。現在、スーパーJチャンネル、東京見聞録、ニュースで英会話、探検バクモン、ニッポン・ダンディなどに出演しています。
差別と排外主義を告発
読み進めるとすぐに、脳内が洪水になり、涙腺からあふれてきました。
学校給食担当のパート労働者よりも教育者の方が人間的感性が劣化しているのではないでしょうか。その時、パート労働者には「サヘルに何が必要なのか(今日の食事)」は理解できても、日本語の補習授業しかしない校長には分からなかったようです。
校長という立場なら、ちょっとした行政上の知識があり、ちょっと努力すれば、サヘル親子に生活保護行政の光を当てることができたはずです。ここでも、教員の差別(社会的)に対する鈍感さと解決能力のなさを見なければなりませんでした。
いいや、むしろ、教員は教室(学校)の頂点に立ち、教室の秩序を維持するためには、教室の強者との関係を最重視しているのではないでしょうか(えこひいき)。教員が差別されている生徒(弱者)の側に立てば、ピラミッド型の生徒管理が揺らぐことへの不安があるのでしょう。この差別支配構造が学校(教室)でのいじめを根絶できない理由のひとつだと思います。
1980年代以降の「イラン=悪者」という皮相な日本世論(排外主義)の中で、イラン人女性(子ども)が生きていくことの困難を想像して下さい。大人の世界が子どもの世界に反映し、子どもの世界にまで排外主義が増幅蔓延しているのではないでしょうか。
世界の中の日本を理解するために、一読をお勧めします。

サヘル・ローズとは
サヘル・ローズは1985年、イラン西部、クルディスタン(クルド人が居住する地理的領域)にある小さな町に生まれ、イラン・イラク戦争(1980~)で生家が空爆(1989)に遭い、両親と10人いた兄姉のすべてを亡くしました。救助活動をおこなっていたフローラ・ジャスミンによって倒壊した家の中から救助され、孤児院で暮らすことになりました。
その後、フローラ・ジャスミンが、孤児院に収容されたサヘルを引き取りましたが、実家から、サヘルを養育することに猛反対され、やがて経済援助を打ち切られてしまいました。8歳のサヘルとフローラはフィアンセのイラン人男性を頼って日本に移住しました。
しかしその男性とフローラが別れ、フローラに職が無かったため赤貧の生活を余儀なくされ、サヘルが通っていた小学校の給食しか食べるものがなかった時期に、給食のパート労働者と親しくなり生活のサポートを受けました。校長による補習授業で日本語を学びましたが、小学校、中学校時代には、「イラン人なるが故」のいじめを受けています。
大学時代にはITを専攻し、セキュリティのプログラミングなどを学び、専門学校時代、俳優の松田洋治に演技の指導を受けていました。現在、スーパーJチャンネル、東京見聞録、ニュースで英会話、探検バクモン、ニッポン・ダンディなどに出演しています。
差別と排外主義を告発
読み進めるとすぐに、脳内が洪水になり、涙腺からあふれてきました。
学校給食担当のパート労働者よりも教育者の方が人間的感性が劣化しているのではないでしょうか。その時、パート労働者には「サヘルに何が必要なのか(今日の食事)」は理解できても、日本語の補習授業しかしない校長には分からなかったようです。
校長という立場なら、ちょっとした行政上の知識があり、ちょっと努力すれば、サヘル親子に生活保護行政の光を当てることができたはずです。ここでも、教員の差別(社会的)に対する鈍感さと解決能力のなさを見なければなりませんでした。
いいや、むしろ、教員は教室(学校)の頂点に立ち、教室の秩序を維持するためには、教室の強者との関係を最重視しているのではないでしょうか(えこひいき)。教員が差別されている生徒(弱者)の側に立てば、ピラミッド型の生徒管理が揺らぐことへの不安があるのでしょう。この差別支配構造が学校(教室)でのいじめを根絶できない理由のひとつだと思います。
1980年代以降の「イラン=悪者」という皮相な日本世論(排外主義)の中で、イラン人女性(子ども)が生きていくことの困難を想像して下さい。大人の世界が子どもの世界に反映し、子どもの世界にまで排外主義が増幅蔓延しているのではないでしょうか。
世界の中の日本を理解するために、一読をお勧めします。