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【13、14】1932年4月30日『イヴニング ポスト』、1932年4~5月『東京日日新聞』

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【13】1932年4月30日『イヴニング ポスト』(『上海戦と国際法』所収)金沢市立玉川図書館

 椿事の翌日たる四月三十日の『上海イヴニング ポスト』紙上に於けるウーヘッド氏が前日の該事件を痛歎せる論文中の左の一節は、何程か右の意見を代表したるものと思はれた。
 この論評は先づ事件の発生を痛切に慨嘆し、兇行を最大の罪悪として非難し、日本国内を通ずる憤慨を以て当然の帰結なりと為し、しかも日支両国人のこの際留意せねばならぬ若干の点ありとして論じて曰く、
 『第一に、若し支那政府の責任者にして今回の兇変を事前に知り且承認したりとの動かすべからざる確証が挙がらば別なるも、その然らざる限りは、日本の軍務官憲彼等自身兇変の責任を負はざるを得まい。彼等は観兵式の間虹口公園を全然支配し、何人の入園を許可し又は拒否するも彼等のみの専権に属した。当日の規定にては、何れの国人たるを問はず、特別のパスを有せざる者は総て入園を拒否するものとしてある。乃ち斯かるパスの兇漢の手に渡ること勿らしむるの責任は主として日本の軍務官憲その人にあった。随って刺客に与ふるに爆弾投擲の機会を以てしたことの不幸なる一過失は、彼等その責に任ぜざる可からざるを知らねばならぬ。』
 『次には、あの大袈裟の規模に係る昨日の観兵式は、支那人の思想の現状に鑑みれば、まさに挑発的のものたりし事実を否み得ない。観兵式の挙行は大なる心配を外国人側に与へた。必ずしも斯かる種類の何等兇行の起こるべきを予想したが故ではなきも、畢竟は最近の交戦の影響から漸く正に回復し掛け来りたる地域に対し、更に不安定の影響を与ふることあるべきを慮ったが故である。日本皇帝陛下の御誕辰を奉祝すべき或儀式を行ふのは、事固より当然に属する。然れども、今日の事態の下にありて斯かる大計画の儀式を行ふの必要なり得策なりが果してあったか。当日内外各国人の斯かる大群衆を引寄せたることの一事、これ既に或不幸なる出来事のリスクを作為したるものである。』
 斯く論じ一転して支那に対する忠言として、支那諸新聞紙のこの際兇漢に何等同情を表したり兇行を賛美したりすることのなきやう極度の自制を自身加ふることの極めて大切なる所以を諄々説く所あった。

【14】1932年4~5月『東京日日新聞』 石川県立図書館(マイクロフイルム) │

1932年4月29日 号外
上海の天長節祝賀会場に投弾 白川、植田、重光三氏負傷
【上海本社特電】(廿九日発)本日午前十一時三十五分新公園における天長節祝賀式場に一暴漢爆弾を投じ白川軍司令官、植田○団長、重光公使三氏は負傷す犯人はその場で逮捕さる

1932年4月29日 号外
上海天長節祝賀会椿事続報 
君が代吹奏終るや 閃光と共に轟く爆音
犯人は式壇の傍らに潜む
【上海本社特電】(廿九日発)廿九日午前十一時から小雨降りしきる中を新公園で官民在留邦人、有力者、在郷軍人、学校生徒、陸海軍将校を前にして天長節祝賀式典を挙げ紅白の幕で飾った壇上に白川軍司令官、野村第○艦隊司令長官、重光公使、村井総領事、河端居留民団会長などが居並び君が代を吹奏まさに式を閉ぢんとする刹那一閃、轟然たる音響とともに手榴弾は重光公使などの間で爆発した。壇上の人は倒れ、鮮血パッと緊張した顔面を流れる。それッと満場の邦人は一斉にどよめき立ち、犯人を捕へろといきりたつた。居留民は潮の押しよせる如く殺到した。現場ではその時既に犯人は捕らへられてゐた。壇の右側を距る僅か数歩のところから投じたもので壇の板に一尺四方の大穴をあけてゐる。負傷者は直ちに青芝の上で手当を受けたが「何これしきのこと」と白川司令官をはじめ一同非常な元気で傷は野村司令長官、重光公使が重くいづれも顔や足部腹部に負傷を受けた。

現行犯人は朝鮮人 関係一味六名逮捕
【上海本社特電】(廿九日発)犯人は現場で憲兵に捕らへられたが、午前零時半までに外に露人など六名関係者として逮捕された。その一名は支那人で公園入口の門番小屋へ逃げ込んだのを追跡逮捕連行した。手榴弾は弁当を装うて風呂敷に包んで搬入したらしくその一つが現場に捨てられてあり有力な証拠物とされてゐる。
【上海本社特電】(廿九日発)廿九日午後二時十分軍司令部発表、廿九日の事件の現行犯人は朝鮮人にして尹奉吉(二五)なるものなり。素姓、連累者に関しては目下調査中。

白色五寸径の爆弾 負傷者は他にも十数名
【上海廿九日発聯合至急報】爆弾は五寸径の白色のもので式台の傍から投げたためその上の主賓席に命中、既報の外憲兵観衆などにも負傷十数名を出した。

野村長官重傷 右眼は失明か 左小指は千切れる
【上海廿九日発電通】野村司令長官は陸戦隊病院で手当を受けたが顔面に破片深く入りその容態気づかはれ右眼も爆弾の破片を受け手術成功せぬ場合は失明のおそれあり。予後の経過を気遣はれてゐる。左小指は吹飛ばされた。但し身体は異状なし。

白川、植田の両将軍重傷
【上海廿九日発電通】植田○団長も重傷を負ったため白川大将と共に野戦病院に入ったが白川大将は顔面左頬に爆弾の破片受けをり重傷である。植田○師団長は右●と左腿に破片をうけてをりこれまた重傷である。植田○団長は足に負傷せるも元気。

北四川路付近に臨時戒厳令
【上海廿九日発電通】椿事勃発とともに北四川路から新公園一帯に臨時戒厳令布かれわが軍警備につき厳戒を開始し物々しき光景を呈してゐる。

軍から声明書
【上海本社特電】(廿九日発)椿事突発後田代参謀長以下各将星は海軍陸戦隊病院に白川大将、植田中将を見舞ひついで福民病院に重光公使を見舞った後急連合司令部に帰り緊急秘密会議を開き今後の対策を協議してゐるが多分夕刻声明書を発表の上犯人取調べの結果を待つことになった。

公報つく
上海総領事館発外務省着第一公報=廿九日上海新公園における観兵式後官民合同祝賀会君が代合唱の終りたる頃、重光公使、村井総領事、白川軍司令官、植田第○○団長、野村第○艦隊司令長官の並立したる式場に爆弾を投じたるものあり全部負傷す。公使及び○団長の負傷は最も重きも生命には別条なき模様なり。

白川大将令妹の驚き
【松山発】負傷した軍司令官白川義則大将は松山市の出身で令妹舟田●女史を同市●町済美女学校に訪うて右の報をもたらすと驚愕して語る。
 「兄が国をたつときにお国のためにはなばなしく死ぬことは結構だがどうか便衣隊に気をつけてむだ死にをせぬように充分気をつけてほしいと妹の私からくれぐれも希望を述べておきました。私の方へは何等通知がなく貴社の報によっていま知ったばかりですがどうか生命だけは助かって再びお国のために尽くしてほしいと●かけて祈ってをります。」

重光公使は全治四五ケ月 河端民団会長最も重傷 
福民病院長語る
【上海廿九日発電通】応急手当を施した福民病院長頓宮博士は次ぎの如く語る
 重光公使は腿部骨折がひどいから全治まで四五ケ月、村井総領事は三週間、河端民団行政委員長は全身に破片を受け●に破片が食ひ入ってをるから最も重傷で警戒を要する。

壇上の主賓 バタバタ将棋倒し 
負傷した本社写真班員 川口君その刹那を語る
【上海本社特電】(廿九日発)重光公使等の遭難現場にあって負傷した本紙写真班川口定夫氏は語る。
 「君が代が終ったと思ふころ突然バーンといふ音がした。と見る間に壇上の重光公使がバッタリと倒れ、野村司令長官その他壇上にあった人達がバタバタと倒れました。重光公使は「足だ、足だ、大丈夫」と叫びながらも痛さにたへかねて起き上がれないようでした。わき起る群衆の憤怒ワッと泣き叫ぶ子供の声、右往左往する群衆に私も傷を忘れて無我夢中で駆け出した。同僚の佐藤本社写真班員が早速この場の写真を撮ったのです。」
 川口定夫氏は上海事変勃発以来常に最前線を駆け回り真に弾丸雨下をくぐって本社の優秀なフイルムを作製してきたが廿九日の天長節の観兵式場でも式壇の側の梯子の上から祝賀式の模様を撮影中爆弾のため顔面に負傷した。しかし勇敢にも顔やのどを血に染めたまま苦痛をしのびながら爆発現場の決死的撮影をして使命を果した。

真相判明次第対策を講ず-荒木陸相語る-
 上海の爆弾事件の報を荒木陸相にもたらすと陸相は驚いて語る。
 「はじめて聞いた。上海からはまだ公電がない。戦地のことだから祝賀式場も厳重な警戒がなかったらうし、それで大事件を起したんだらう。停戦会議も交渉が進み解決の曙光が見えはじめたとき、こんな事件が起きたのは日支両国間の感情問題にも面白くない結果を残すようなことは残念だ。公報が入らぬうちは犯人をあやつる勢力も判明しないが、事件の判明次第、軍部としては適当な対策を講ずるつもりである。」

驚き一入 病床の白川大将夫人
 暴漢のため爆弾を投げられ負傷した白川大将の市外代々幡町代々木大山一〇七九の留守宅には、まだ何の知らせなく病床にあるたま子夫人(五七)の驚きは一しほであった。夫人は●●のため牛込軍医学校で手術を行ひ四月六日に退院上海派遣軍にある大将から十五日退院の祝ひにあわせ「壮健で元気よく活躍してゐるから安心せよ」とのたよりがあったきり何のたよりもなく、また次男の義直さん(二三)も風邪の床にあり長男の義正さん(二四)や令嬢のハマ子さん(二九)は遠地にある父君の安否を気づかってる家人は語る。
 「ただ今御社の知らせではじめて知ったわけで陸軍省から何んの報告もないので負傷の程度などもわからず心配してゐます。」

重光夫人は産後 さすがに女性
【大阪発】阪急沿線岡本(兵庫県)の父君-林市蔵氏邸でこの間お産したばかりの重光公使夫人喜惠子さん(三一)は本社からの遭難第一報にしっかりしてゐるもののさすがに女性「それから? それから」とせきこんで夫君の安否を気遣ひ「まだどこからも何も承ってをりませぬ。父(林氏)はいま九州方面を旅行中ですし…」とあわただしく立った。

1932年4月30日
上海の天長節 祝賀式場に爆弾を投ず 重光公使最も重傷 犯人は直ちに逮捕さる
【上海本社特電】(廿九日発)本日午前十一時三十五分新公園における天長節祝賀式場に一暴漢爆弾を投じ白川軍司令官、植田○団長、重光公使三氏は負傷した。犯人は直ちに現場で群衆に袋だたきにされ憲兵隊の手で逮捕された。
【上海廿九日発電通至急報】廿九日午前十一時三十五分新公園の天長節祝賀式君が代合唱中突如式台上の重光公使、白川軍司令官に向けて手榴弾を投じたものあり。白川大将は顔面に重光公使は負傷個所不明だが昏倒し、混乱に陥った。なほその式上には野村司令官、村井総領事、河端民団会長等あり何れも傷つき村井総領事は足に、野村司令官は頭にそれぞれ負傷した。爆弾は重光公使と白川大将との間に落ち重光公使最も重傷らしい。

村井総領事 野村中将も 同時に負傷す 
犯人は支那人 白川、植田両将軍軽傷
【上海本社特電】(二十九日発)犯人は支那人である。重光公使は右足重傷。村井総領事は左足軽傷。重光、村井両氏は直ちに福民病院に担ぎ込まれた。生命には別条ない白川、植田両将軍は陸戦隊病院に運ばれた。軽傷である。

陸軍には公電未着
 白川上海軍司令官、重光公使、植田○団長の遭難事件に関し廿九日午後二時までは陸軍省に公電がない。

共犯者 厳探開始
【上海廿九日発電通至急報】事件突発と共に新公園各門を閉鎖し憲兵隊は機関銃を持てる警備隊とともに直ちに同公園を包囲し厳戒して犯人共犯者の厳探を開始した。

重光、植田両代表傷き 
停戦会議無期延期 支那と四国公使に通告
【上海本社特電】(廿九日発)植田○団長、重光公使の遭難により今や緒につかんとしてゐた停戦会議は無期延期の止むなきに至った。重光公使の如きは治療数ヶ月を要し植田○団長も相当の重傷であるので両代表の全癒まで会議を延期するかそれとも代表を変更任命して会議続行を計るかは今のところ犯人訊問の結果によらねばこの事件そのものが会議に反映するものであるか否かもわからぬわけである。しかしわが軍首脳部は公使館代表と協議の上とりあえず両三日中に再開されるはずであった会議の無期延期につき支那側並びに四国公使に通告した。

田代参謀長語る。
【上海廿九日発聯合】白川軍司令官を見舞って野戦病院から出てきた田代参謀長は語る。白川大将も植田中将も相当重傷だが元気だ。犯人の系統はゆっくり調べてからでないとわからぬ。停戦会議なんかこれで吹ッ飛んじゃったさ。

会議は続開したい 
然し犯罪の目的によっては 交渉方針を建直す
 廿九日午前上海新公園におけるわが出先官憲首脳部に対する爆弾事件に関し政府は頗る重大視し吉澤外相個人の意向としては事情の許す限り上海停戦交渉を継続し能ふ限りすみやかに協定調印の段取りに運ばしめたき希望を示しつつあるも犯人の素性、犯行の動機、背後の関係等一切の真相判明し万一今回の事件が停戦交渉を不成立に終わらしめる目的をもって組織的に行はれたる国際的犯罪たるの嫌疑を生ずれば政府としても上海交渉に対しては根本的にその対策を建直すべき必要を生ずるに至るやも知れずとして目下出先官憲に対して真相調査の厳命を下してをり、これが成行頗る重大視しつつある。

速やかに真相の判明を望む 芳澤外相声明(談話)
 上海におけるわが出先官憲首脳部に対して行はれた爆弾事件に関し吉澤外相は廿九日午後六時半外務省において次の如き談話を発表した。
 「三月三日の停戦命令発令以来わが方においては事実上一切の軍事行動を停止し厳重に戦争を中止したにも拘わらず支那軍側は小規模ながら両三度わが軍に対して襲撃を試みてゐた。しかし何れも大事に至らず大体上海方面の事態は緩和しつつあるものと認めていたのであるがただ日本の居留民に対する支那群衆の迫害事例絶えず、最近に至っても迫害が行はれつつある事を甚だ遺憾に思ってゐた。
 しかるに今回の如き兇変の報道に接することはまことに遺憾の極みといはざるを得ない。何れも生命には別条がないといふ点だけは不幸中の幸といはねばならぬ。
 最も重傷なのは重光公使と野村司令官で重光公使の傷は右足くるぶしに骨折のあることを発見し全治までには一,二ヶ月を要しまた野村司令長官の方はこれも相当重傷らしく何れにしてもまことにこれらの人に対しては気の毒に堪へない。
 植田○団長、重光公使その他の人の負傷者は先般来の時局について昼夜心身を砕いて来た人達で、一方ならぬ努力によって停戦交渉も将に結末に近づかんとしてゐる際かくの如き出来事の発生したことは返す返すも遺憾の至りである。犯人の一人はすでに逮捕されたといふ事であるから何れそれぞれ審理も行はれ、反抗の原因等も何れ判明することと思はれるが犯行の原因詳細の真相の速やかに判明することを切離している次第である。自分一個としては事態がこれを許すならば停戦交渉を継続し早く結了せしめたいと希望してゐる。但しただ今のところは政府部内においても相談を遂げる必要あり、この点に関しては確言することを得ない次第である。」

追及せず 陸軍当局意向
 上海爆弾事件に関し上海軍司令部より陸軍省着公電によれば白川軍司令官、植田○団長とも比較的軽傷なため陸軍中央部の意向は軍司令官、○団長の更迭任命等の●は目下のところ何等考慮せずまた一方今回の事件がまさに調印を了せんとする停戦交渉に及ぼす影響対策については犯人の背後関係の適確に取調べらるるを待ってゐるが現在までの状況では単なる一突発事件と看倣して政治的には余り追及せず。従って停戦交渉の結果には大なる影響なきも混合委員会に対しては非公式にてもかかる状勢並にその背後関係について注意を喚起することとなる模様である。

寿府(ジュネーブ)に響く 十九ケ国委員会開く
 【ジュネーヴ本社特電】(廿九日発)上海爆弾事件はなごやかな平和的雰囲気に向ひつつあったジュネーヴを青天のへきれきの如く驚かせ大きな衝動を与えた。イーマンス氏は聯盟総会の議長の資格でわが代表部を訪れ鄭重な見舞いの言葉を述べ、ついでサイモン英外相も駆けつけてきた。イーマンス氏とサイモン氏との顔は驚愕と悲痛の色で曇ってゐた。停戦会議無期延期の報道は更にジュネーヴの空気をかき乱した。
 【ジュネーヴ廿九日発電通】十九ヶ国委員会は重光公使等の遭難に関し今後の方針を議するため廿九日午後五時(日本時間三十日午前一時)から開かれることになった。

誠に遺憾 英国公使談
【上海本社特電】(廿九日発)天長節祝典に参列してゐた各国公使及び武官は突然の椿事に驚愕しいづれも興奮した面持ちで退場したが時を移さず福民病院及び陸戦隊病院に陸戦車を飛ばしそれぞれ見舞を述べて辞去した。英国公使ランプソン氏は憂色をたたへながら語る。
 「停戦交渉が漸く成立せんとする際、しかも日本天皇陛下の御誕生日祝賀のおめでたい式場でこの意外の不祥事が起ったことはまったく遺憾にたへない。予は東洋平和のためにも重光公使はじめ諸氏の一日も早く快癒されんことを衷心祈って止まない。」

「責任は自分に」 深く決する 荻根憲兵中佐
【上海廿九日発聯合】廿九日新公園における天長節祝賀式警戒の任に当ったのは憲兵隊長荻根中佐以下第一分隊長間瀬少佐及び中村輜重兵少佐であるが荻根中佐は責任はまったく自分にある。深く決するところがある」とて黙して一切を語らない。

代理公使任命か
【上海廿九日発電通】重光公使の負傷は幸ひ致命傷でなかったが全快までには相当の日子を要するので多分代理公使として守屋(和郎)一等書記官が任命さるべく停戦交渉若し続開さるれば守屋書記官これに当るものと見られてゐる。

傷は意外に重し 右眼失明免れぬ 野村長官全身に負傷 
主治医・若生軍医中佐談
【上海本社特電】(廿九日発)野村司令長官と友野民団書記長が担ぎ込まれた陸戦隊病院は英国公使ランプソン氏、ケリー提督その他外国外交官、武官、邦人各方面からの見舞でごった返しているが主治医たる特務艦室戸病院長軍医中佐若生良徳氏は手術着のまま語る。
 「野村閣下の負傷個所は右の眼、左眉毛、右鼻翼、下顎部、左側肺部、腹部、下肢等殆ど全身に亘って居るが一番ひどいのは右の眼でレントゲンで見ると眼球内に手榴弾の破片が入ってゐることが分った。残念ながら失明は免れないでせう。次は右鼻翼部の裂傷でこれは可成り深い。それから左の小指は切れ飛んでその他の個所も傷そのものは小さいがいづれも破片が入ってをるようであるから一々手術の上取去らねばならぬので全治までには少なくとも一月以上を要する見込みです。しかし閣下は驚く程元気でをられます。友野氏の傷は前額部と右前膊左右下肢に無数の傷を受けているがこの方は比較的軽いから三週間位で全治するでせう」

重光公使骨折
【上海廿九日発電通】廿九日午後六時頓宮博士発表=村井総領事は左右の脚部に軽傷で断片一個摘出したが大きさは中指のさき位で四五週間で退院の見込み。重光公使は左右の腰から大股にかけ右の脚部に骨折あり三四ヶ月を要するも生命は心配なし。

川端民団会長 危篤
【上海本社特電】(廿九日発)河端民団会長は胸部腹部に内出血し輸血を行ったが廿九日午後十時半容態危篤に陥った。

調査団驚く 顧維鈞、憂鬱
【奉天本社特電】(廿九日発)上海爆弾事件の報は本社満州号外によって奉天全市に伝へられヤマトホテル滞在中の聯盟調査員一行は愕然としたが中でも顧維鈞は色を失ひ直に同宿の吉田大使を訪問深く遺憾の意を表したのち游秘書を通じ記者団に左の如く語った。
 「まだ国民政府から何んの通知もありませんが話を聞いて大変驚いてゐます。非常にお気の毒なことで負傷をせられた方のできるだけ軽傷であらんことを祈ってゐます。なほ直に国民政府並に上海へ詳細問ひ合せ電報を打ちました。」
 なほ顧維鈞問題が漸く円満解決せんとする矢先とてこの事件は支那代表部を憂鬱におちいらせてゐる。

水筒、弁当箱に仕掛けた爆弾 犯人逮捕の殊勲者 後本兵曹
【上海本社特電】(廿九日発)廿九日の天長節上海祝賀式場に投ぜられた爆弾は河端民団会長と重光公使の間に落下したものである。犯人は水筒の中に爆弾を押し込み巧みに場内に侵入し水筒ごと壇上に投げつけたが現場には更紗風呂敷に包んだ弁当らしく見えるものを棄ててゐた。憲兵隊で調べると假製爆弾と分かった。犯人はこの予備の爆弾を使用するに至らずして捕らへられたものである。爆弾の炸裂前早くも犯人を捕らへた殊勲者後本(武彦)兵曹は当時の模様を語る。
 「私は私服で式壇に向かって右後に警備のため立ってゐました。君が代吹奏中も腹の中でうたひながらじろじろ周囲を監視してゐたのですが君が代の終わりかけた時私の前のラウドスピーカーに故障が生じ四五人で修繕しかけたどさくさ紛れに私の横を掠めて何かが飛んだのでおどろいて振り向くと怪しい男が逃げ出して行くではありませんか。とっさに『爆弾だ危い』と叫んで無我夢中で組みつきました。灰色の縞柄の荒い洋服を着けた若い男でしたが私に捕まるとすぐ首をうなだれたので舌でも噛んではと襟をつかんで引立て憲兵に渡した次第です。あの不適な曲者はその場でたたッ斬りたかったのですが重大犯人ゆゑさうも行きませんでした。」
 なほ海軍では後本兵曹に近く善行賞を授与することに決定した。

1932年5月1日
爆弾事件は切離して 上海停戦会議続行
けふ外相、陸海両相疑義 その結果方針決定
 三十日午前零時半陸軍首脳部会議終了後荒木陸相は官邸に吉澤外相、大角海相の訪問を受け官邸の奥深く三相鼎座上海爆弾事件の経過対策ならびに同事件と停戦交渉との関係につき種々重要協議を遂ぐる所あったが、結局今回の事件と停戦交渉とはひとまづ切り離して取扱ひ爆弾事件は別に探求し停戦交渉は進捗せしむる事に方針を決し一時散会、更に同三時三相は打ち揃って宮中に参内、天皇陛下に拝謁仰せ付けられ爆弾事件の経過並に停戦交渉との関係につき委曲奏上御下問に奉答する事になった。

暫く静観する 陸軍首脳部協議
 陸軍では三十日午前十時より陸相官邸に荒木陸相、真崎参謀次長、小磯次官、山岡軍務局長等の首脳部参集し上海爆弾事件に関する詳報を持ち寄り善後対策につき種々協議したが、現下の情勢においては暫く静観し、背後関係において停戦交渉を阻害するものなき場合には調印当事者たる植田○団長の恢復に余りに長時日要する場合には田代軍参謀長に事務代行を命ずる手筈を決し、ここ数日の形勢を観望する事となったが背後関係において停戦交渉を阻害する証拠を得れば断乎たる処置に出づるも然らざれば現下の国際情勢の大局より見て政治的にあまり追及せざる方針をとることとなった。一方植田○団長の容態も比較的軽傷なるをもって停戦協定の調印も案外早く行はるるにあらずやと憶測されてゐる。

1932年5月2日
重光、植田両代表 病床に於て調印 
愈々両三日中に 停戦会議継続に決す
【上海本社特電】(一日発)一日午前十一時岡崎書記官は英国領事館にランプソン公使を訪問し、四月廿九日の事件にかかはらず停戦交渉を従来の方針通り進めることは日本政府の熱心に希望するところである。日本出先軍部、外交当局も交渉継続を期してゐる。とて一日朝到着した本省からの訓令に基づき日本側の交渉に関する誠意を披瀝しかつ協定調印は重光公使、植田○団長が病床にあるままなしたき旨諒解を求めた。ランプソン氏は日本側の誠意を涼とし直ちに米、仏、伊三国公使にも伝達したが、いづれも日本の態度を諒解し会議の前途に対し安堵の意を表示した。かくて会議は両代表の負傷にかかはらず近く再開北平から来る矢野参事官を加へ岡崎書記官、田代参謀長等も出席し両三日中に調印を行ふこととなった。しかして調印は支那側が英国総領事館で四国公使の面前で行ひ四国公使はこれを携へ植田○団長の入院せる兵站病院、重光公使の入院せる福民病院を訪問して日本の調印を行ふはずである。

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