【17】１９３２年５月３日 上海に於ける爆弾投擲事件の概況(外務省警察史) 滋賀県立図書館 │
昭和七年五月三日附在上海村井総領事発信吉澤外務大臣宛報告要旨
上海虹口公園ニ於ケル爆弾投擲事件
一、在留官民合同ノ天長節祝賀会場ニ於ケル爆弾投擲ト犯人ノ逮捕
当地ニ於ケル在留官民ノ天長節奉祝ハ例年共同租界虹口公園ニ於テ、官民合同ノ祝賀会ヲ挙行シ、模擬店等ヲ開キテ盛大ニ行ハレタルガ、本年ハ事件後ノコトトテ模擬店等ヲ設ケズ、単ニ官民合同ノ祝賀式ヲ挙行スルニ止メ当日我上海派遣軍ハ午前九時過ヨリ虹口公園ニ於イテ観兵式ヲ行ヒタル為在留官民ハ勿論外国人等モ多数参集シ無慮数万トナレリ。観兵式ハ午前同十一時三十分頃終リタルヲ以テ引続キ予定通リ祝賀式ニ移リ、式場中央前ニ設ケタル奉祝台上ニハ、重光公使ヲ初メ村井総領事、白川軍司令官、野村第三艦隊司令長官、植田第九師団長、川端行政委員会長及友野民団書記長着席シ、其ノ前面ニハ当地邦人児童、生徒学生等ヲ、中央ニ在留本邦官民整列シテ大体祝賀式ヲ終リ、君ガ代合唱ノ最中、午前十一時四十分頃突然式台後方ノ群衆中ヨリ一名ノ男進ミ出デ、携ヘ居タル水筒形ノモノヲ台上ニ投ゲ付ケタルガ、右ハ同時ニ一大音響ト共ニ炸裂シタル為、前記台上ノ諸氏ハ悉ク其ノ破片ニヨリ負傷スルニ至レリ。其ノ中川端行政委員長ハ最モ重傷ニシテ翌午前三時十分遂ニ死去セリ。
犯人該爆弾投擲ニ当リ尚所持シ居リタル弁当箱様ノモノヲ地上ニ置キタルガ、先ニ一個ヲ投擲後更ニ之ヲ拾ヒ上ゲントセル際附近ニ在リタル我海軍一等兵曹竝ニ警備中ノ憲兵及当館警察署員(高柳吉衛巡査)等ニ於テ直ニ逮捕シタルガ邦人群衆ノ激昂甚シク、之ヲ包囲シテ殴打遂ニ昏倒セシムルニ至レルガ、軍憲ノ力ニ依リ直ニ同公園ノ我憲兵第一分隊ニ引致セリ。
二、式場ノ警備状況ト爆弾投擲ノ状況
式場ノ略図左ノ如クナル処、当日場内外ノ警備ハ主トシテ軍憲ニ於テ当館警察署長以下署員ハ風紀係トシテ等シク警備ノ任ニ当レリ。犯人ノ自供ト現場目撃者等ノ陳述トヲ総合スルニ、犯人ハ式台後方群衆中ニ混入シ居リテ、機会を窺ヒ居リタルガ午前十一時四十分携ヘ居タル弁当箱ノ爆弾ヲ地上ニ置キ、肩ニ懸ケ居タル水筒形ノ爆弾ヲ取リ外シ、革紐ノ着キタル儘右手ニ持テ、数歩前進シ騎馬兵ノ直後方ヨリ台上目掛ケテ投擲シ、更ニ地上ノ弁当箱型ノ爆弾ヲ投ゲントシテ、引返ス所ヲ群衆ニ押シ倒サレ逮捕セラレタルモノナリ。
而シテ、当時ノ警備状況ハ式台上ノ各大官ノ身辺護衛トシテ、六名ノ騎馬兵ガ式台後方ニ式場ニ面シテ立チ、其ノ後方約数米突ノ場所ニ、数名ノ補助憲兵配置セラレ、群衆ハ其ノ後方ニ在リタリ。補助憲兵ガ何レニ面シテ立ルヤハ明瞭ナラザルモ、護衛騎馬兵ハ群衆ヲ背ニシテ式場ニ面シ居リタルハ事実ナリ。
三、犯人使用ノ爆弾ノ構造及其ノ携行方法
犯人ハ爆弾二個ヲ携行セルモノナルガ、疑ヲ避クル為之ヲ隠蔽スルニ極メテ巧妙ナル方法ヲ採レリ。即チ一個ハ水筒型ニ作リ、「アルミニューム」製ノ水筒内ニ納メ、外部ニ白色「ズック」ノ覆ヒヲ施シ、革製ノ紐ヲ着ケテ之ヲ肩ニ掛ケタリ。此爆弾ハ水筒ノ口ノ部分ニ信管ヲ位置セシメ、発火用ノ麻紐ヲ着ス。他ノ一個ハ之ヲ弁当箱型ニ作リ、「アルミニューム」製ノ弁当箱ニ納メ之ヲ風呂敷ニ包ミ、信管ノ部分ニ小穴ヲ穿チテ是ヨリ発火用ノ紐ヲ出ス。
弁当型爆弾ノ構造詳細次ノ如シ。
（一）容積
長サ 五寸四分
幅 三寸四分
厚サ 一寸五分
（二）重量
三瓩（キログラム）半（約一貫匁）
（三）其ノ外形竝ニ内部機構別添図ノ如ク爆弾ハ銑（鋳鉄）ヲ以テ作ラレ、中央両端ニ通ズル一方大ニシテ一方小ナル横穴ヲ穿チ、穴ノ大ナル部分ニ点火装置ヲ為ス。爆薬ハ盬剥、硫黄茶褐薬（三硝基トロール）ノ合成物ニシテ約二百七十瓦有リ。点火装置ハ別添図ノ如ク先ヅ摩擦薬内ニ在ル鋸形ノ鉄片ノ一端ニ麻紐ヲ附シ、之ヲ引ク時ハ、鉄片ノ歯ハ摩擦薬ヲ摩擦シテ発火セシメ、導火薬ニ点火シ更ニ緩燃導火薬ヲ経テ起爆剤ニ移ル。此ノ装置ハ支那陸軍ノ使用スルモノニシテ、独逸、露国ノ機構ナリ。是ハ製造上経費少ナク、安価ニ製シ得ルモノナリト云フ。
本爆弾ノ鑑定ニ当レル派遣軍軍司令部生田参謀中佐ノ言ニ依レバ、本品ハ単ナル市井ノ模造品ニアラズ銑ヲ用ヒテ鋳造セル点ヨリ見テ単ニ一個作レルモノニアラズ。或ハ多数同時ニ造レルモノニアラズヤト思料セラルス由ナリ。
四、犯人ノ身許ト其ノ犯行ノ動機竝ニ経緯
本籍 朝鮮忠清南道礼山郡徳山面柿梁里一三九
住所 上海佛租界貝勒路東方公寓三〇号
無職 尹奉吉
明治四十年五月十九日生
右犯人ハ本籍地ニ於テ農業ニ従事シ居タル処内鮮人間ニ差別待遇アリト信ジテ之ヲ憤慨シ、朝鮮独立ノ念願ヲ抱クニ至リ、昭和五年三月新義州ヲ経テ、同月三十一日安東県ヨリ汽船廣利丸ニ乗船、四月上旬青島ニ到着、鮮人経営ノ飲食店松竹堂主人ノ紹介ニ依リ、同地奉天路中原洗濯店ニ職人トシテ雇ハレタ。
翌六年(1931年)五月八日青島ヨリ上海ニ来リ、佛租界霞飛路和合坊ノ某飲食店ニ約三十日間滞在中、鮮人朴震ガ支配人タル●品公司(毛編帽子材料製造工場)ニ職工トシテ雇ハレタルガ、本年二月中解雇セラレ、離職後ハ共同租界通州路鮮人李某ノ経営スル信恭洋行ヨリ米粉類ノ卸売ヲ受ケ之ヲ虹口「マーケット」ニ於テ小売シ居リタルモノナリ。
尹奉吉ガ家出ノ動機ハ前記ノ如ク独立運動ニ投ズルニアリタルヲ以テ其ノ来滬後ハ朝鮮独立運動者ヲ求メツツアリタルガ、七月ニ至リ李春山ヲ知リ其ノ紹介ニ依リテ、韓国独立党ニ加盟セリ。其ノ後李春山トハ時々面会ヲ続ケ居ル内、本年四月十五日佛租界白来尼蒙馬浪路某所ノ茶館ニ於テ会合ノ際初メテ今次ノ不逞行動ニ関スル相談ヲ為シ、同二十日同所ニ於テ李春山ヨリ銀二百弗ヲ受ケタリ。茲ニ於テ尹奉吉ハ犯行実行ノ決意ヲ固メ、同月二十四日（日曜日）虹口公園ニ於ケル勅諭御下賜五十年記年式の機会ヲ捉ヘントシタルガ、爆弾入手遅レタル為実行スルヲ得ズ、当日ハ現場ニ赴キ、挙式ノ模様ヲ仔細ニ観察シ白川司令官、植田師団長等ヲ見届ケ置キタルモノノ如シ。
越エテ二十七日午後八時頃李春山ハ尹奉吉ノ下宿ニ於テ二個ノ爆弾(前顕ノモノ）ヲ尹ニ手交セリ。而シテ其ノ翌二十八日正午李春山ハ大世界隣ノ中国青年会館ニ於テ尹ヲ招キ午餐ヲ共ニシタル後尹ハ直ニ虹口公園ニ赴キ観兵式ノ予行演習ヲ見テ予メ実地見聞ヲ遂ゲ帰宅シタルガ、午後八時頃李春山ハ再ビ尹ヲ訪ネ爆弾ノ使用方法ヲ教ヘタリ。犯行実行ノ当日即チ二十九日ニハ午前六時頃起床後、霞飛路、呂班路角ノ法大汽車公司ニ於テ自動車ヲ雇ヒ虹口公園ニ赴キ、午前七時五十分門前ニテ下車シ、門衛ノ支那人ニ日本語ヲ以テ挨拶シテ公園内ニ入リタリ。
携行ノ爆弾ハ水筒型ノモノハ右肩ヨリ左腋下ニ懸ケ、弁当型ノモノハ風呂敷包ト為シテ之ヲ右手ニ提ゲタリ。而シテ予テ呉淞路日本人写真店ニテ入手セシ白川司令官、植田師団長ノ写真ヲ所持セリ。軈テ観兵式ハ終リ官民合同ノ祝賀式ニ移リ式モ終リニ近ヅキ国歌合唱中降雨トナリタル為群衆ハ次第ニ分散シ始メタル折柄、前進シテ前顕二項ノ如ク式台上目掛ケテ爆弾(水筒型)ヲ投擲シタルモノナリ。
五、本犯行ノ連携ト其ノ捜査
尹奉吉ノ陳述ニ依ル前記李春山ナル者ハ本犯罪ノ主犯ト目セラルル処、「春山」ハ李裕弼ノ字ナルヲ以テ李裕弼ガ本件ノ首謀者ナルニアラズヤトノ推測行ハル。
依テ其ノ人相特徴等ニ就キ尹奉吉ニ問フニ其ノ言フ処極メテ曖昧ニシテ担イ本人ノ陳述ニ依テハ李裕弼タルコトノ確証ヲ得ルニ至ラザリシガ兎ニ角其ノ名ノ一致スル所ヨリ一応李裕弼ヲ以テ主犯タリトノ嫌疑ノ下ニ捜査ヲ進行スル事トシ、二十九日午後二時仏工部局警察ニ電話シテ政治部主任警部「エメリアノフ」ノ来館ヲ求メ直ニ霞飛宝康里五十四号ノ李裕弼ノ住所ニ就キ之ガ検挙ヲ為スト共ニ尹奉吉ノ住所ニ就キ家宅捜査ヲ実施セシムルコトヲ要求シタル処「エメリアノフ」ハ之ヲ承諾シテ辞去セリ。李裕弼ハ僑民団政務委員長トシテ韓僑ノ間ニ重キヲ為スト共ニ韓国独立党ノ執行委員ナリ。而シテ同日午後六時ニ至リ仏租界工部局刑事二名附添ヒ一名ノ鮮人ヲ当館ニ引渡シタルガ其ノ言フ処ニ依レバ仏警察刑事ガ李裕弼宅ニ至レル時ハ李ハ既ニ逃走後ニテ其ノ家族ノ言ニ依レバ李ハ午前八時頃外出セリトノコトナリシモ引続キ該家屋内ニ張込中、右鮮人入リ来リタルヲ以テ之ヲ捕ヘタル処「自分ハ支那人ナリ」ト主張シタルニ付其ノ旅券ヲ入レタル提鞄ヲ押収シテ同行セリト。
依テ該鮮人ヲ訊問シタル処右ハ興士団長安昌浩(当四十八年)ナルコト判明セルニ付直ニ之ヲ留置シ目下取調中ナリ。
今次ノ爆弾事件ハ未曾有ノ事件トシテ内外各方面ニ衝動ヲ与ヘタルガ之ガ善後処置ニ就キ其ノ対策ヲ練ル為二十九日午後五時三十分ヨリ当館内ニ於テ左記軍部各方面ト協議ヲ為シタリ。
陸軍側 原田参謀中佐 稲垣憲兵大尉
海軍側 北岡大佐(公使館附武官) 伊藤中佐(陸戦隊参謀)
公使館側 守屋一等書記官
総領事館側 井口領事 赤木事務官 花里署長
右慎重協議ノ結果、此機会ヲ利用シテ韓国独立運動ニ一大打撃ヲ与フルノ方針ノ下ニ其ノ一斉検挙ヲ仏国側ニ要求スルコトトセリ。惟フニ同日既ニ重大事犯ノ決行セラレタルヲ以テ鮮人ノ悉クハ極度ニ其ノ身辺ヲ警戒シツツアルベク恐ラク大部分逃避シテ其ノ所在ヲ●晦セルモノト思料セラレ仮令一斉検挙ヲ行フモ警察的ニ其ノ効果トシテ得ル処殆ド無カルベキモ之ニ依テ当方ノ威力ヲ示シ仏租界必ズシモ安全地帯ニアラザルコトヲ知ラシメ其ノ運動ノ根柢ヲ動揺セシムルコトノ利益アルヲ庶幾シタル次第サリ。
右打合ノ趣旨ニ依リ午後七時半井口領事ハ仏国総領事ニ、更ニ午後十時井口領事ハ赤木事務官ト共ニ同工部局警察ト一斉検挙ノ詳細打合ヲ為シ、翌三十日午前四時我方検挙班(赤木事務官ヲ総指揮トシ当館警部以下四十四名、憲兵隊員二十二名ノ応援ヲ加ヘ別ニ憲兵将校三名合計七十名)出動セシメ、同五時仏工部局警察隊ト現地ニ会同シテ、左記十四名ノ住所ヲ夫々捜査セシメタリ。
韓国臨時政府財務部長 韓国独立党執行委員 韓国僑民団政務委員兼義警隊長 金 九(五十七年)
韓国独立党執行委員 韓国僑民政務委員 兼庶務部長 李 裕弼(四十八年)
韓国独立党執行委員 韓国臨時政府国務委員長、兼法務部長､外交委員会委員 李東寧(六十四年)
韓国独立党執行委員 韓国臨時政府外務部長 兼外交委員会委員 趙 素昴(四十六年)
韓国独立党執行委員 韓国臨時政府軍務部長 兼軍事委員会委員 金 徹(四十七年)
韓国独立党執行委員 韓国臨時政府軍事委員会委員 朴 昌世(四十四年)
韓国独立党監察委員 韓国僑民団警務隊幹事 厳 恒燓(三十五年)
韓国独立党監察委員 韓国僑民団警務隊幹事 崔 錫淳(四十五年)
韓国独立党執行委員 韓国僑民団議員 車 利錫(四十九年)
韓国独立党執行委員 白 基俊(四十四年)
上海韓人青年党理事長 金 哲(二十二年)
韓国義勇軍幹部 金 東宇(三十八年)
右一斉検挙ノ結果前掲十四名中一名モ逮捕シ得ザリシガ、右検挙ニ向ヒタル場所ニ居合セタル左記容疑鮮人十一名ヲ逮捕シ、一旦佛租界警察ニ同行シタルモ、同日午後全部当方ニ引渡シタリ。
馬浪路一里一六（崔錫淳宅）張相国（二十六年）胡聖源（二十四年）李基●（十九年）
辣斐徳路三八八（朴昌世宅）朴済道（二十三年）朴済建（十七年）
馬浪路四四六（趙素昴宅） 金徳根（十八年）
馬浪路普慶里八号（李東寧厳恒燓宅）張鉉瑾（二十四年）
霞飛路宝康里六五（金明●宅）金徳●（十九年）朴華山（十七年）車均燦（二十七年）李達文（三十五年）
右十一名ハ孰レモ目下留置取調中ナリ。
尚前記各場所ニ就キ武器弾薬等ヲ特ニ検索シタル処僑民団二階寝室内ニ於テ柳行李中ヨリ拳銃弾（鉛）四十発、小銃弾五発及拳銃「サック」一個ヲ発見シタリ。
斯クテ此一斉検挙ハ目的ノ人物ハ一名モ逮捕スルヲ得ザリシガ、仏租界ニ於ケル鮮人ノ独立運動ニ一大痛打ヲ与ヘタルハ事実ニシテ、此点ニ於テ相当所期ノ目的ヲ達シタルモノト思料セラル。
尚金九外本事犯連類者ニ就テハ陸海軍側ト密接ナル連絡ヲ取リ引続キ捜査進行中ナリ。犯人尹奉吉ニ対スル憲兵隊ノ訊問調書(一、二回分)参考迄別添ス。