レポート
『「アラブの春」の正体 欧米メディアに踊らされた民主化革命』
重信メイ著 角川新書 2012.10.10発行
今ふたたび、1年前にムバラクを打倒した人々がタハリール広場に結集し、モルシー大統領の辞任を要求している。2010年から始まった「アラブの春」は未完であり、これから本番を迎えようとしている。
「早くシリアに軍事介入してアサドを倒してほしい」という多くの日本人の感情を逆なでするような本が出版された。本書はチュニジアやエジプトは『革命』であるが、リビアやシリアは『内戦』であるという結論と、なぜそうなのかについて詳細に論じている。
著者の重信メイは日本赤軍の重信房子の娘で、2001年に28歳の時に帰国して、現在は中東問題に関するジャーナリストとして活躍している。重信メイについては、2002年に発行された『秘密 パレスチナから桜の国へ』(講談社)を読んでいただければ、重信メイはもちろんパレスチナと日本赤軍の様子の一端を窺うことができる。
重信メイはそれぞれの国の成り立ちや社会体制について説明し、欧米やサウジアラビア、イスラエルなどの国際関係からリビアやシリアの運動はチュニジアやエジプトの「アラブの春」との違いを考究している。
チュニジアとエジプト
チュニジアの運動は大学を卒業し、失業のために野菜売りをして家族を養っていた青年が、無許可営業を理由にしてその道も断たれて、2010年に自殺したことから始まった。根底には深刻な経済問題があった。左派とリベラル派は猛然とたたかい、ベンアリ大統領を打倒したが、選挙でイスラム原理主義に敗北し、苦い結末を招いた。
重信メイは「リーダーはなくても政権を倒すことはできるが、新政権のためにはリーダーが必要である」と、未完の革命を悔しがっている。
エジプトもチュニジア同様深刻な経済状態だった。エジプトでは2006年頃から工業都市(アルコブラ)でストライキが多発していた。製糖工場、鉄道、石油労働者が立ち上がっていた。チュニジアとエジプトの共通点は失業と政府の腐敗である。アラブ社会は封建主義的規範が残っていて、統治者はこのシステムを利用して富を集中し、腐敗の温床になっていた。
エジプトにはアメリカから毎年20億ドルの経済援助があり、大半が軍に流れ、軍は大企業に投資して経済活動に深く関わっていた。民衆のたたかいに直面した軍は経済的利益を守るために、ムバラクを見限った。アメリカもムバラクを見放した。ムバラク退陣後の大統領選挙では、「アラブの春」をたたかっていた左派・リベラル勢力は決戦投票に残ることができず、ムスリム同胞団のムルシ(右派)が大統領になった
ムルシは軍に有利な憲法を無効にしたが、逆に権力を大統領に集中して、革命を台無しにしてしまった。そして、今ふたたび、タハリール広場は「ムルシ打倒」の声が響き渡っているが、左派・リベラル勢力の力がおよばず、軍に簒奪されるのだろうか。
リビアについて
リビアのカダフィは革命勢力や民主運動を支え、パレスチナ解放運動を支持し、1980年代まで高い評価を得ていた。カダフィはエジプトのナセルを信奉し、政治と宗教を分離して統治するアラブナショナリズムの立場をとっていた。日本のナショナリズムは差別・排外主義だが、アラブナショナリズムはアラブ民族を統合する思想である。
リビアは産油国であり、経済的には安定した国で、大学までの教育費、医療費、電気代、水道代は無料である。家や車を買うときのローンの半分は国が援助している。したがって、チュニジアやエジプトのような経済的理由はあまりないが、秘密警察を持つ独裁国家に対する批判がある。
リビアはアラブで4番目に広い国で、東部(キレナイカ)、西部(トリポリタニア)、南部(フェーザーン)に別れており、対立してきた。1969年、カダフィ(西部)がクーデターをおこし、徐々に東(キレナイカ)の不満が高まっていた。重信メイは東部がチュニジアやエジプトの民衆運動の刺激を受けて、カダフィ打倒に決起したとみている。
そして最も重要なことはリビアの石油生産は国有企業なので、米欧の資本が入れない。東部反政府派の決起に、欧米諸国が石油を狙って支援した。カダフィ打倒のあとに、中央銀行が結成されて外国資本の石油投資の道が開かれ、国営企業は民営化され海外資本が流入した。
「カダフィ=独裁者」という悪印象が広がっているのは、天然ガスをめぐってリビアと利害関係にあるカタール(親米、親サウジアラビア)が資金援助しているアルジャジーラの偏った報道に一因があると、重信メイは考えている。
シリアについて
シリアは1946年にフランスから独立し、1970年にアサド(父)がクーデターを起こし、バアス党が統治している。政教分離・アラブナショナリズムの国家で、経済格差は小さく、貧困層には砂糖やお米などの現物支給をするなど一定の福祉政策をとっている。
2012年5月に109人(内女性49、子ども34)が死亡するという事件が起きた。メディアとアメリカは政府側の仕業と発表したが、しかし事件の場所がスンニ派の街であり、政府側の人物が容易に入り込めないこと、20人が砲弾で殺されたが、そのほかの女性・子どもは首を切られており、この方法はイスラム原理主義者のやり方なので、重信メイは疑問視している。
2006年にイスラエルがレバノンに侵攻したが、シーア派のヒズボラに阻止された。重信メイは、アメリカは対イラン政策として、シリアやレバノンのヒズボラを押さえ込みたいから、反政府勢力を支援し、内戦化しているとみている。多数派のスンニ派(70%)の中間層は混乱を求めてはおらず、国内外の反政府勢力がアメリカなどにそそのかされて行動を起こしていると見ている。
以上のように、リビアやシリアの「内戦」がチュニジアやエジプトの「アラブの春」の延長線上にあるかのように考えることは、メディアやアメリカの情報を鵜呑みにすることから起きていると、重信メイは警鐘を鳴らしている。『中東民衆革命の真実』(2011年)を発表した田原牧にも再登場していただき、ぜひともアラブ全体について、特にリビアとシリアについての論評を書いてほしいものだ。
2013.7.5(一部修正)
(関心のある方は、ブログ「松岡正剛の千夜千冊」1488をご覧下さい)
『「アラブの春」の正体 欧米メディアに踊らされた民主化革命』
重信メイ著 角川新書 2012.10.10発行
今ふたたび、1年前にムバラクを打倒した人々がタハリール広場に結集し、モルシー大統領の辞任を要求している。2010年から始まった「アラブの春」は未完であり、これから本番を迎えようとしている。
「早くシリアに軍事介入してアサドを倒してほしい」という多くの日本人の感情を逆なでするような本が出版された。本書はチュニジアやエジプトは『革命』であるが、リビアやシリアは『内戦』であるという結論と、なぜそうなのかについて詳細に論じている。
著者の重信メイは日本赤軍の重信房子の娘で、2001年に28歳の時に帰国して、現在は中東問題に関するジャーナリストとして活躍している。重信メイについては、2002年に発行された『秘密 パレスチナから桜の国へ』(講談社)を読んでいただければ、重信メイはもちろんパレスチナと日本赤軍の様子の一端を窺うことができる。
重信メイはそれぞれの国の成り立ちや社会体制について説明し、欧米やサウジアラビア、イスラエルなどの国際関係からリビアやシリアの運動はチュニジアやエジプトの「アラブの春」との違いを考究している。
チュニジアとエジプト
チュニジアの運動は大学を卒業し、失業のために野菜売りをして家族を養っていた青年が、無許可営業を理由にしてその道も断たれて、2010年に自殺したことから始まった。根底には深刻な経済問題があった。左派とリベラル派は猛然とたたかい、ベンアリ大統領を打倒したが、選挙でイスラム原理主義に敗北し、苦い結末を招いた。
重信メイは「リーダーはなくても政権を倒すことはできるが、新政権のためにはリーダーが必要である」と、未完の革命を悔しがっている。
エジプトもチュニジア同様深刻な経済状態だった。エジプトでは2006年頃から工業都市(アルコブラ)でストライキが多発していた。製糖工場、鉄道、石油労働者が立ち上がっていた。チュニジアとエジプトの共通点は失業と政府の腐敗である。アラブ社会は封建主義的規範が残っていて、統治者はこのシステムを利用して富を集中し、腐敗の温床になっていた。
エジプトにはアメリカから毎年20億ドルの経済援助があり、大半が軍に流れ、軍は大企業に投資して経済活動に深く関わっていた。民衆のたたかいに直面した軍は経済的利益を守るために、ムバラクを見限った。アメリカもムバラクを見放した。ムバラク退陣後の大統領選挙では、「アラブの春」をたたかっていた左派・リベラル勢力は決戦投票に残ることができず、ムスリム同胞団のムルシ(右派)が大統領になった
ムルシは軍に有利な憲法を無効にしたが、逆に権力を大統領に集中して、革命を台無しにしてしまった。そして、今ふたたび、タハリール広場は「ムルシ打倒」の声が響き渡っているが、左派・リベラル勢力の力がおよばず、軍に簒奪されるのだろうか。
リビアについて
リビアのカダフィは革命勢力や民主運動を支え、パレスチナ解放運動を支持し、1980年代まで高い評価を得ていた。カダフィはエジプトのナセルを信奉し、政治と宗教を分離して統治するアラブナショナリズムの立場をとっていた。日本のナショナリズムは差別・排外主義だが、アラブナショナリズムはアラブ民族を統合する思想である。
リビアは産油国であり、経済的には安定した国で、大学までの教育費、医療費、電気代、水道代は無料である。家や車を買うときのローンの半分は国が援助している。したがって、チュニジアやエジプトのような経済的理由はあまりないが、秘密警察を持つ独裁国家に対する批判がある。
リビアはアラブで4番目に広い国で、東部(キレナイカ)、西部(トリポリタニア)、南部(フェーザーン)に別れており、対立してきた。1969年、カダフィ(西部)がクーデターをおこし、徐々に東(キレナイカ)の不満が高まっていた。重信メイは東部がチュニジアやエジプトの民衆運動の刺激を受けて、カダフィ打倒に決起したとみている。
そして最も重要なことはリビアの石油生産は国有企業なので、米欧の資本が入れない。東部反政府派の決起に、欧米諸国が石油を狙って支援した。カダフィ打倒のあとに、中央銀行が結成されて外国資本の石油投資の道が開かれ、国営企業は民営化され海外資本が流入した。
「カダフィ=独裁者」という悪印象が広がっているのは、天然ガスをめぐってリビアと利害関係にあるカタール(親米、親サウジアラビア)が資金援助しているアルジャジーラの偏った報道に一因があると、重信メイは考えている。
シリアについて
シリアは1946年にフランスから独立し、1970年にアサド(父)がクーデターを起こし、バアス党が統治している。政教分離・アラブナショナリズムの国家で、経済格差は小さく、貧困層には砂糖やお米などの現物支給をするなど一定の福祉政策をとっている。
2012年5月に109人(内女性49、子ども34)が死亡するという事件が起きた。メディアとアメリカは政府側の仕業と発表したが、しかし事件の場所がスンニ派の街であり、政府側の人物が容易に入り込めないこと、20人が砲弾で殺されたが、そのほかの女性・子どもは首を切られており、この方法はイスラム原理主義者のやり方なので、重信メイは疑問視している。
2006年にイスラエルがレバノンに侵攻したが、シーア派のヒズボラに阻止された。重信メイは、アメリカは対イラン政策として、シリアやレバノンのヒズボラを押さえ込みたいから、反政府勢力を支援し、内戦化しているとみている。多数派のスンニ派(70%)の中間層は混乱を求めてはおらず、国内外の反政府勢力がアメリカなどにそそのかされて行動を起こしていると見ている。
以上のように、リビアやシリアの「内戦」がチュニジアやエジプトの「アラブの春」の延長線上にあるかのように考えることは、メディアやアメリカの情報を鵜呑みにすることから起きていると、重信メイは警鐘を鳴らしている。『中東民衆革命の真実』(2011年)を発表した田原牧にも再登場していただき、ぜひともアラブ全体について、特にリビアとシリアについての論評を書いてほしいものだ。
2013.7.5(一部修正)
(関心のある方は、ブログ「松岡正剛の千夜千冊」1488をご覧下さい)