林毅強の漢詩について
2014年12月、「聯合ニュース」は尹奉吉が逮捕され、処刑されるまでの間に、尹奉吉のたたかいを讃え、来たるべき処刑を悲しむ、中国軍の参謀本部高級参謀林毅強の漢詩が発見されたと報じた。
漢詩原本はインターネット上にあり、
日本語に翻訳してみた。素人の飜訳であり、不正確であることを前提にして、読んでいただきたい。上海爆弾事件が中国人民に与えた影響の大きさをうかがい知ることができる。
<原本>
軍事雑誌 第四十六期 論説 二七
韓志士尹奉吉伝略(記者)
上海炸弾案一鳴驚人之尹奉吉氏、生於朝鮮忠清南道禮山、家世以農為業。
上有白髪如雪的老父母、下有妻及子女各一人。
曾在日人所辨的工業学校修業、後来以為国家巳亡、振興工業、巳非其時、中途退学。
民国十五年秋、忽然来華、旋赴東北、連絡韓国革命党、進行救国工作。
去年曾目賭日軍佔領東北、嗣亡命上海、又見日軍侵佔淞滬、乃決作虹口炸弾案。
尹善於漢詩、去秋會作一首示某君、有句云。
「淋漓茹飲漢城月、慷慨悲歌滬市秋。」
参謀本部高級参謀林毅強先生預輓尹奉吉烈士一聯云。
霹靂起春申 一弾未鎖国亡恨 精忠報箕子 千秋争説死人香
<日本語訳>
軍事雑誌 第四六期 論説
朝鮮の尹奉吉義士略伝(記者)
上海で一発の爆弾を投げて人々を驚かしたのは尹奉吉氏で、朝鮮忠清南道に生まれ、家は代々農家だった。
白髪の老いた父母があり、妻とふたりの子どもがいる。
日本の工業学校(植民地教育)で勉強していたが、その後、国はなくなり、工業(農業)を興すために中途退学した。
民国15年(実際は1930年)秋に、突然中国・東北地方に赴き、韓国革命党に連絡し、救国のたたかいを始めた。
昨年(1931年)、日本軍が東北地方(満州)を占領したので、上海に亡命し、日本軍が侵略占領する淞滬(上海)の虹口公園で爆弾を投擲した。
尹奉吉は、昨秋一首の漢詩を詠み、ある人に与えた。
「淋漓茹飲漢城月、慷慨悲歌滬市秋。」
【漢城(ソウル)の月を思いながら、ふらふらになるまで酒を飲み、上海の秋に、憤り嘆きながら、悲壮な詩を歌う】
参謀本部高級参謀林毅強先生があらかじめ尹奉吉烈士の死を悼んで一聯の句を詠んだ。
霹靂起春申 一弾未鎖国亡恨 精忠報箕子 千秋争説死人香
【雷が眠っている春を起こす 爆弾一つが亡国の恨みを開いた 精誠と忠誠を箕子朝鮮の至る所に知らせるために 亡くなった人(尹奉吉)の香り(偉業)が長く記憶されるだろう】
2014年12月、「聯合ニュース」は尹奉吉が逮捕され、処刑されるまでの間に、尹奉吉のたたかいを讃え、来たるべき処刑を悲しむ、中国軍の参謀本部高級参謀林毅強の漢詩が発見されたと報じた。
漢詩原本はインターネット上にあり、
日本語に翻訳してみた。素人の飜訳であり、不正確であることを前提にして、読んでいただきたい。上海爆弾事件が中国人民に与えた影響の大きさをうかがい知ることができる。
<原本>
軍事雑誌 第四十六期 論説 二七
韓志士尹奉吉伝略(記者)
上海炸弾案一鳴驚人之尹奉吉氏、生於朝鮮忠清南道禮山、家世以農為業。
上有白髪如雪的老父母、下有妻及子女各一人。
曾在日人所辨的工業学校修業、後来以為国家巳亡、振興工業、巳非其時、中途退学。
民国十五年秋、忽然来華、旋赴東北、連絡韓国革命党、進行救国工作。
去年曾目賭日軍佔領東北、嗣亡命上海、又見日軍侵佔淞滬、乃決作虹口炸弾案。
尹善於漢詩、去秋會作一首示某君、有句云。
「淋漓茹飲漢城月、慷慨悲歌滬市秋。」
参謀本部高級参謀林毅強先生預輓尹奉吉烈士一聯云。
霹靂起春申 一弾未鎖国亡恨 精忠報箕子 千秋争説死人香
<日本語訳>
軍事雑誌 第四六期 論説
朝鮮の尹奉吉義士略伝(記者)
上海で一発の爆弾を投げて人々を驚かしたのは尹奉吉氏で、朝鮮忠清南道に生まれ、家は代々農家だった。
白髪の老いた父母があり、妻とふたりの子どもがいる。
日本の工業学校(植民地教育)で勉強していたが、その後、国はなくなり、工業(農業)を興すために中途退学した。
民国15年(実際は1930年)秋に、突然中国・東北地方に赴き、韓国革命党に連絡し、救国のたたかいを始めた。
昨年(1931年)、日本軍が東北地方(満州)を占領したので、上海に亡命し、日本軍が侵略占領する淞滬(上海)の虹口公園で爆弾を投擲した。
尹奉吉は、昨秋一首の漢詩を詠み、ある人に与えた。
「淋漓茹飲漢城月、慷慨悲歌滬市秋。」
【漢城(ソウル)の月を思いながら、ふらふらになるまで酒を飲み、上海の秋に、憤り嘆きながら、悲壮な詩を歌う】
参謀本部高級参謀林毅強先生があらかじめ尹奉吉烈士の死を悼んで一聯の句を詠んだ。
霹靂起春申 一弾未鎖国亡恨 精忠報箕子 千秋争説死人香
【雷が眠っている春を起こす 爆弾一つが亡国の恨みを開いた 精誠と忠誠を箕子朝鮮の至る所に知らせるために 亡くなった人(尹奉吉)の香り(偉業)が長く記憶されるだろう】