20220101 Uさんからの「伝言」
2023年1月にUさんが亡くなって、2年が過ぎた。Uさんは1932年生まれで、私の15歳上で、1975年第1次訴訟提訴以来の先生だった。
私が本格的に小松基地闘争に取り組むために、騒音直下の安アパートに居を定め、その2~3分先にUさんの家があり、ときどき立ち寄っては、お茶を脇に置いて談笑していた。
亡くなる1年ほどまえ(2021年)に、「伝言」が書かれ、2021年12月20日、裁判傍聴時に受けとったが、その時は「まだまだ先のことでしょ」といって、軽くあしらっていた。しかし、1年後の2023年1月に亡くなってしまった。あぁ!
Uさんの「伝言」の一部と「平和憲法を道標に、運動を進めよう」を、「愛してやまない次の世代、次の次の世代」として、共有したいと思う。
「伝言」
「支那事変」「大東亜戦争」「B29」「広島」「長崎」~「福井空襲」「富山空襲」も小松中学一年生の夏休みでした。鉄兜を被り、木刀を腰にして、校舎防衛に出かけました。そしてその前後にも連日小松基地で見送った。「神雷特攻隊」の若者を「神の国、日本不滅」「神風が吹く」と信じて。万歳万歳、芦城国民学校でも「新井康平」に続け~「神州不滅」「神風が吹く」と洗脳されました。
最初の幼稚園でも、「男女三歳にして、席を同じゅうせず」「天皇陛下の為に命を捧げることが一番親孝行」とも。そんな狂気が何故に!! この時!! 更にこの間にも国内でも三百万人もの人が死に、アジアでは二千二百万人もの一般人が命を失った事も戦後に知りました。
この狂気が何故この時に!! 何故!! 何処から!! 来るべくして来た事を、この時初めて知りました。
「明治憲法第三条:大日本帝国は万世一系の天皇が統治する」「第三条:天皇は神聖にして侵すべからず」と。そして今また、「大きいことはいいことだ」「みんなで渡れば怖くない!!」でしょうか。愛してやまない次の世代、次の次の世代の幸せを命の限り祈り続け、「声」をあげて生きたい!!
末筆ですが、お体大切に!! ご交誼よろしく。
2022年元旦
★Uさんのインタビュー
2020年 https://www.youtube.com/watch?v=zvkKd3bGk_g
2014年 https://www.youtube.com/watch?v=vKvlmA8NvTo
「平和憲法を道標に、運動を進めよう」(2003年6月「やかまし」34号)
昭和五〇(一九七五年)年に提訴された、いわゆるファントム裁判は、その後の第二次の裁判から第三次、四次提訴へと引き継がれ、それも一審判決を経て、高裁での審理が始まっています。
この間すでに四半世紀の時間が経過しております。振り返って見ますと、当初一二名であった原告は現在一七〇〇名以上の原告という大きな運動となっております。同時に、小松で全国初に声を上げたこの闘いは、その後米軍横田基地、厚木基地、さらには極東最大といわれる米軍沖縄基地での運動へと発展し、今や原告数は数万人に達し、この運動を支援し、連帯する各界各層の人は数十万人、百万人にもなろうかという、かつて例を見ない具体的でねぼり強い運動に発展しております。
更にそれだけではなく、この運動は全国各地、各種の公害に苦しむ多くの人たちにも勇気を与え、環境を守り、人権確立を求める運動とも連帯し、憲法を守り、憲法を活かす要求とも一体となっております。
長期にわたるこれらの運動は相互に補完しつつ、深刻な公害の実態を余すところなく、白日のもとにさらし出し、社会のあり方を問う運動になっており、同時に最大の争点である自衛隊の実態の持つ違憲性、非法制、そして被告国の主張の矛盾をもますます明らかにしつつ、二一世紀に向かっての人類の指針を示す役割を果たしております。
私は被告国の主張の矛盾と狼狽の根本的な原因は、国による最初のボタンのかけ違いにあり、そのことを国民の目からそらせ続けてきた歴代政権にこそあると思います。
最近、元防衛庁長官の久間章氏が言いました。「日本は米国の五一番目の州である」という一言、こんな屈辱的な認識が歴代政権にあったことに原因があると思います。つまり「日本国憲法」も超大国の都合次第では無意味となり、アメリカの「ショウ ザ フラッグ」の一言が天の声であり、神の声であるという。「日本国憲法」を根本から無視する認識にあるといわざるを得ません。そして、そんな認識が生まれている理由と、その行き着く先について、この運動を通じて明らかにすることが大切だと思います。
すでに世界地図から第二世界を消し、今第三世界をじゅうりんしつつあり、自らの価値観のみに基づいたグローバル化を進める倣慢はいかなる宗教の戒めにも反しており、決して道理にも合致しない。平和と人権、自由を望み、真の民主主義を望む日本国憲法の精神を掲げて、世界に向かって主張することこそが人類に貢献する立場であり、国民の望む道であると思います。
戦後いち早い時期の内灘の闘い、砂川基地の運動に引き続き、「小松に軍事基地を」と報道された昭和三〇年代の始めからの一貫したねぼり強い運動が二〇年を経て、十二名の原告とこれを支援する人たちによって引き継がれ、今日へと継承発展した。この運動の原点はスタート時期から今日まで、そしてこれからも不変で、まさに近代史の教訓、とりわけ第二次世界大戦の実態と経験が半世紀を経て、決して消すことのできないたたかいそのものであり、自由と人権を確立し、平和を守り、発展させ、戦争を拒否するという憲法擁護の運動そのものであり、私たちが全人類に呼びかけていくべき道標であると思います。
ベトナム戦争、アフガン戦争、有事立法、イラク占領と、更に文明の一元化をごり押しする超大国のグローバリズムに追随するかぎり、尊厳も大義も道理もあり得ないと思います。
今こそ憲法を拡め、世界の人々に「日本国董法」を知らせていくことが大切だと思っています。
2023年1月にUさんが亡くなって、2年が過ぎた。Uさんは1932年生まれで、私の15歳上で、1975年第1次訴訟提訴以来の先生だった。
私が本格的に小松基地闘争に取り組むために、騒音直下の安アパートに居を定め、その2~3分先にUさんの家があり、ときどき立ち寄っては、お茶を脇に置いて談笑していた。
亡くなる1年ほどまえ(2021年)に、「伝言」が書かれ、2021年12月20日、裁判傍聴時に受けとったが、その時は「まだまだ先のことでしょ」といって、軽くあしらっていた。しかし、1年後の2023年1月に亡くなってしまった。あぁ!
Uさんの「伝言」の一部と「平和憲法を道標に、運動を進めよう」を、「愛してやまない次の世代、次の次の世代」として、共有したいと思う。
「伝言」
「支那事変」「大東亜戦争」「B29」「広島」「長崎」~「福井空襲」「富山空襲」も小松中学一年生の夏休みでした。鉄兜を被り、木刀を腰にして、校舎防衛に出かけました。そしてその前後にも連日小松基地で見送った。「神雷特攻隊」の若者を「神の国、日本不滅」「神風が吹く」と信じて。万歳万歳、芦城国民学校でも「新井康平」に続け~「神州不滅」「神風が吹く」と洗脳されました。
最初の幼稚園でも、「男女三歳にして、席を同じゅうせず」「天皇陛下の為に命を捧げることが一番親孝行」とも。そんな狂気が何故に!! この時!! 更にこの間にも国内でも三百万人もの人が死に、アジアでは二千二百万人もの一般人が命を失った事も戦後に知りました。
この狂気が何故この時に!! 何故!! 何処から!! 来るべくして来た事を、この時初めて知りました。
「明治憲法第三条:大日本帝国は万世一系の天皇が統治する」「第三条:天皇は神聖にして侵すべからず」と。そして今また、「大きいことはいいことだ」「みんなで渡れば怖くない!!」でしょうか。愛してやまない次の世代、次の次の世代の幸せを命の限り祈り続け、「声」をあげて生きたい!!
末筆ですが、お体大切に!! ご交誼よろしく。
2022年元旦
★Uさんのインタビュー
2020年 https://www.youtube.com/watch?v=zvkKd3bGk_g
2014年 https://www.youtube.com/watch?v=vKvlmA8NvTo
「平和憲法を道標に、運動を進めよう」(2003年6月「やかまし」34号)
昭和五〇(一九七五年)年に提訴された、いわゆるファントム裁判は、その後の第二次の裁判から第三次、四次提訴へと引き継がれ、それも一審判決を経て、高裁での審理が始まっています。
この間すでに四半世紀の時間が経過しております。振り返って見ますと、当初一二名であった原告は現在一七〇〇名以上の原告という大きな運動となっております。同時に、小松で全国初に声を上げたこの闘いは、その後米軍横田基地、厚木基地、さらには極東最大といわれる米軍沖縄基地での運動へと発展し、今や原告数は数万人に達し、この運動を支援し、連帯する各界各層の人は数十万人、百万人にもなろうかという、かつて例を見ない具体的でねぼり強い運動に発展しております。
更にそれだけではなく、この運動は全国各地、各種の公害に苦しむ多くの人たちにも勇気を与え、環境を守り、人権確立を求める運動とも連帯し、憲法を守り、憲法を活かす要求とも一体となっております。
長期にわたるこれらの運動は相互に補完しつつ、深刻な公害の実態を余すところなく、白日のもとにさらし出し、社会のあり方を問う運動になっており、同時に最大の争点である自衛隊の実態の持つ違憲性、非法制、そして被告国の主張の矛盾をもますます明らかにしつつ、二一世紀に向かっての人類の指針を示す役割を果たしております。
私は被告国の主張の矛盾と狼狽の根本的な原因は、国による最初のボタンのかけ違いにあり、そのことを国民の目からそらせ続けてきた歴代政権にこそあると思います。
最近、元防衛庁長官の久間章氏が言いました。「日本は米国の五一番目の州である」という一言、こんな屈辱的な認識が歴代政権にあったことに原因があると思います。つまり「日本国憲法」も超大国の都合次第では無意味となり、アメリカの「ショウ ザ フラッグ」の一言が天の声であり、神の声であるという。「日本国憲法」を根本から無視する認識にあるといわざるを得ません。そして、そんな認識が生まれている理由と、その行き着く先について、この運動を通じて明らかにすることが大切だと思います。
すでに世界地図から第二世界を消し、今第三世界をじゅうりんしつつあり、自らの価値観のみに基づいたグローバル化を進める倣慢はいかなる宗教の戒めにも反しており、決して道理にも合致しない。平和と人権、自由を望み、真の民主主義を望む日本国憲法の精神を掲げて、世界に向かって主張することこそが人類に貢献する立場であり、国民の望む道であると思います。
戦後いち早い時期の内灘の闘い、砂川基地の運動に引き続き、「小松に軍事基地を」と報道された昭和三〇年代の始めからの一貫したねぼり強い運動が二〇年を経て、十二名の原告とこれを支援する人たちによって引き継がれ、今日へと継承発展した。この運動の原点はスタート時期から今日まで、そしてこれからも不変で、まさに近代史の教訓、とりわけ第二次世界大戦の実態と経験が半世紀を経て、決して消すことのできないたたかいそのものであり、自由と人権を確立し、平和を守り、発展させ、戦争を拒否するという憲法擁護の運動そのものであり、私たちが全人類に呼びかけていくべき道標であると思います。
ベトナム戦争、アフガン戦争、有事立法、イラク占領と、更に文明の一元化をごり押しする超大国のグローバリズムに追随するかぎり、尊厳も大義も道理もあり得ないと思います。
今こそ憲法を拡め、世界の人々に「日本国董法」を知らせていくことが大切だと思っています。